生まれた時から目の不自由な人が、ある日突然視力を回復したという体験記を読んだことがある。
最初に彼が見たものは机やら顔やらといった像ではない。
そこにあるのは恐ろしく凶暴な光の渦巻きである。
彼がそれまで机だと認識していた知覚作用は通用しない。
光の渦の中にある机という物体を四つの角をもった光の束だと認知するにはかなりの訓練期間が必要であったという。
視力を回復したということはそれまで自明のものとして了解していた知覚世界を、視力を回復したことによって失ったのである。
繰り返すが、視力を回復した彼は、眼による知覚作用を獲得するために視ることを訓練しなければならなくなったのである。
それまで視えないことで見えていたものが、視えることによって見えなくなったのである。
なんと逆説的な話しであることか。
私たちにとって見るということは、もともと備わってるものではなく、教育や訓練によって獲得したものなのである。
私がいて、その眼差しが世界を切り取る。
西洋絵画が生み出したもっともすぐれた図法である遠近法は、画面上の全てのものの相互関係を統一的に語り、全てのものは中心点からの距離、隔たりとして描かれる。
つまり中心とは人間の代理人である画家である。
遠近法は一つの図法でしかないにもかかわらず、個の中心性や絶対性を保障するがゆえに普遍性を持ちえた。
私たちが美術教育によって教えられたのは近代の空間概念であり、それが支配的眼差しになじんだ空間、つまり遠近法であった。
そして私たちは学校でこの図法を学び、あたかも自明のものとして遠近法的な眼差しで世界を見ることを獲得した。
子供の時なら視覚や感性が充分訓練されていないことによって描くことは子供独特の稚拙な表現として了解されうる。
しかし、見たまま、感じたままが高度になれば、おのずと表現も変化する。
ボリューム感や奥行き、ものとものとの関係など遠近法という空間を概念として獲得するに至る。
だから近代化した視覚を持ったがその視覚に応ずる技術を持つことができなければ絵を描くことは苦痛となる。
(したがって、多くの大人は「わたしは絵が下手で描けません」と言うことになる。)
一方、近代的な視覚と感性に順ずる技術を持とうとする画学生はデッサンという見ることを描きとる訓練によって先行していた遠近法的な視覚・感性に追いつこうとする。
しかし、追いついてみれば、そこにあるのは自らの表現を受け止める技術でも概念でもなく、すでに様々な先人たちのよって表現されつくし、充分手垢にまみれた権威として立ち現れる。
そしていつの間にか遠近法によって見ることと描くことへの興味を失っていた。
絵を描くことを止めて久しい。
まして上手に描くことになんの興味もない。
しかし、再度、空白の紙に表現したいと思い始めている。
いま描くということは、もはや描くという技術を超え、途方もなく広がる現代の知とその周辺を徘徊しながら一本の線を捜し求めるのことなのかもしれない。
かつて私は絵を描くことが好きだった。
一本の線が紙の上に描かれる時の新鮮な緊張感。
色彩のかすかなにじみが浮かび上がる時の驚き。
遠近法に変わる自らの眼差しの発見という途方もない夢をカタチしてみたい。と。