年末から年始にかけて、辛いことや厭なことが続いていた。
師の突然の他界、立て続けにプレゼン失敗、予定していたプロジェクト中断による売上の減少。
何から、どう対処すればいいのか?
そもそも、なぜこうした事態になったのか?
問題の本質は何か?
論理的に且つ、冷静に分析して対応すれば窮地から脱することが出来るだろうと思っていた。
しかし、事態は一向に改善に向かわない。
いや、むしろ暗くて重いドリロとしたものが、日増しに心の内に沈殿していった。
先週末、風邪気味で少し喉の痛みもあり、一日、部屋の中で過ごした。
本でも読もうと、書斎に入った。
書架の脇に目をやるとりんご箱があり、その中に、まだ7,8個残っている。
お歳暮で頂いた当初は、食卓にあがっていたが、近頃ではほとんど食べていなかった。
それでも、書斎に入る度に、早く食べなければと気にしながら1ヶ月以上経つ。
食べ物を無駄にすることは、とても厭なことであり、出来る限り回避したいことの1つである。
だから、書斎に入る度に、気になりながらも見て見ぬ振りをしていた。
りんごを手に取ってみた。
皮が萎れはじめている。
よし、ジャムを作ってみようと思い立った。
りんごを水洗いし、四つに切り分け、皮を剥く。
塩水につけ、水をきり、少し大きな鍋に入れ、中火で焦げ付かないように注意しながらゆっくりと煮る。
途中、レモン半分を皮ごと切り、一緒に入れる。
水分が少なくなったところで火を止め、冷ます。
砂糖も蜂蜜も、何も入れない。
こうして、ごくシンプルなりんごジャムが出来た。
この時、ゆくりなく気分も晴れた。
それは、手製のジャム作りに満足したことだけではない。
心の内に沈殿していた、ドロリとした澱のようなものが、スッと流れ落ちたように思えたからだ。
それまで、問題の本質に対する正解は何かと、少々、大袈裟に構えていた。
そうではなく、閉塞した状況を動かしたのは、腐りかけのりんごを、なんとかしようとした現実である。
目の前にある、ほんの些細なことを解決することだったのだ。
白い小皿にジャムを入れ、軽くシナモンを振りかける。
スプーンで口に運ぶ。
りんご本来のさっぱりとした甘みと、レモンの酸味が絡み合い、かそけき爽やかなジャムが、少し腫れた喉を通っていった。