故郷、津軽は今年ことのほか雪が多い。
今週月曜日、弘前市では積雪量1メートル53センチ。
八甲田山系にある温泉地、酸ヶ湯ではこれまでの観測で最高の5メートル50センチを
記録したという。
冬のあいだ、雪掻き、屋根の雪下ろしは大変な労働である。
いずれは消えてしまう雪を相手に、必死に退ける作業を延々としていることは限りな
く徒労感を覚える。
もちろん、経済的な打撃も大きい。
この地に生まれたことを恨む気持ちになる。
しかし、春になり、夏と秋を迎えるころには、こんなに豊かな土地に生きることに喜
びを感じる。
禍福はあざなえる繩の如し。
考えてみれば、雪害のない九州や沖縄は夏、台風に曝される。
また、雪害も、台風の被害も比較的少ない、関東、中部、南海など太平洋沿岸の広い
領域ではいま、これまでになく地震のリスクが高まっている。
この国で生きるかぎり、どこにいても、なんらかのカタチで自然の脅威から逃れるこ
とはできない。
天気は誰にも、どうすることもできない。
老若男女、富む者も貧しき者も、病める者も健やかな者も。
雨も、雪も、嵐も、僕に降り掛かるときはあなたにも降り掛かる。
あまたに同じように作用する。
だから、天気の話をすることは、陳腐でどうでもよいことではなく、上下も強者も
弱者もなく、同じ人と人なのだと認めあうことだ。
天変地異を受け入れること、日本人としての矜持と諦観は、こうして形成されてきた
のではないか。
もうすぐ、3.11を迎える。
濃淡はあるだろうが、被災地では復興へと歩みを進めているだろう。
しかし、福島第1原発では、いまだに解決の糸口さえ見えてこない。
地震と津波によるものとはいえ、この影響を防ぐこが出来ずに起きた人災。
周辺の人口流出は24,000人にもおよぶ。
5年経とうが10年経とうが、この事象を特定の場所での特殊な事情として括り、
風化させてはならない。
そのためにも、いま一度、日本人としての矜持(プライドというよりは自分と同胞を
信じること)と諦観(諦めるというよりは冷静に事態を知ること)を再認識すること
が必要ではないか。