ご縁がつながり、この4月から美術系大学で、週一回講義をしている。
内容はウェブ制作に関連するもので、受講生は3年生、40名ほどのクラスである。
いま時の学生たちの印象は、予想に反して真面目かつ優秀である。
午後1時20分から10分の休憩を挟んで、4時30分までの180分。
この長丁場の授業、内容もかなりハードだがダレることなく、しっかりと対応してくれている。
僕らが学生だったことろとは大違いである。
一部のエリート学生を除けば、そもそも学問や知識、教養そして就職といった世間と向き合う
ことから逃避するための場として、大学が存在していたようなものだった。
いまにして思えば、こうした事態をスポンサーである親たちも、なかば嘆きながらも、
実は楽しく容認していたのではないか。
僕の父は、尋常小学校卒業後、丁稚奉公をして時計修理の職人になった。
同級生の親たちも似たようなものだった。
戦前生まれの父母たちの多くは、自らは高等教育を経験することなく、自分の子供たちを
大学に進ませたのだ。
以下、大学とは、青春とは、何かを鮮やかに謎解きした名著『青春の終焉』からの引用である。
〈青春は新興ブルジョワジーを象徴するものであり、そのイデオロギーにほかならなかった。
教育が重視され、学校が設立され、大学制度が整えられた。
貴族のサロンといってよかったアカデミーが、生産に結びつけられたのである。
それが近代の大学制度の意味である。〉
『青春の終焉』三浦雅士著 講談社
余談であるが著者三浦氏は1970年代、雑誌『ユリイカ』や『現代思想』の編集長としても
活躍していた。
なぜ、自分たちが体験していない学校へ子供たちを進学させたのか。
誤解を恐れずに言えば、「青春」というものを我が子とともに味わってみたかった。
さらに、敗戦から復興し、僅かながら豊かになった親たち世代もまた、戦争に置き去りに
してきた「青春」を取り戻したかったのではないだろうか。
大学という場は、僕たちも親たちにとっても、学問や知識、教養そして就職の獲得の場
以上に、「青春」を延長し謳歌する装置だったのだ。
40年も経って最近気付いたことがある。
大学時代のなんの役にも立ちそうにない、無駄とも思える時間を過ごしたことや、
損得なしの出会いにこそ、価値があったのだと。
それこそが、豊かな人生であることに。