第543号『ご縁』

【縁が結ばれた祝日】
【縁が結ばれた祝日】

来春の新規採用のため、数名の方と面接をした。
ファンサイトも来年で13年目。
その間、縁あって関わりをもったメンバーも10人を超える。
一人一人の顔を思い浮かべると、それぞれに才能を開花させ、ファンサイトを自分事
として盛り上げてくれた仲間である。
そのうちの何人かは、退社後もいまだに遊びに来てくれる。
家族のような付き合いができていることに感謝したい。
こうした関係が、初めから出来ていた訳ではない。
誰かの紹介や、求人広告といった、お互いに未知の出会いからのスタートだった。

採用を始めた当初、幾つかの気がかりなことがあった。
ファサイトはメンバー総勢6、7名の小さな、そして社会的な認知も薄い組織。
だから、将来性や給料の保証などに不安を抱かないか。
そもそも、こんな小さな会社を選ぶことにリスクを感じていないか。
だから、なかなか能力の高い人は来てくれないのではないか。
結局、中小零細の組織はすべてにおいて、足りないことを余儀なくされるのだ、と。
こうした、自虐的とも思えるようなことを気にしていた。

数年前の面接で、Aさんに質問をした。
「どうして、ファンサイトという小さな会社を希望したのですか?」
その問いにAさんは答えた。
「自分でいろいろ見て選べないのは損だと思ったからです」
ボクはその答を聞き、ふと気付いた。

つまり、自由に選ぶ選択肢が少ない、あるいは狭いことが損であるという価値観に、
ボクもAさんも捕われていることに。

自分で選んだものは、全て自分にはね返ってくる。
結果、その責任を自分ひとりで背負わなければならい。
天職を得るのも、運命の人と出会うのも、生きがいを得るのも、すべて自分の責任。
そして、見渡せば、自由を得るためにみんな震えながらひとりで必死に立っている。

自分自身の事柄として考えてみれば、この歳に至るまで、そんなことはほとんどなか
った。
いつも誰かに助けられ、何かに身を委ねて来た。

それでは自由がないと言われそうだ。
だが、自由とはもともと選択の余地などない、がんじがらめの状況で獲得するものだ。

いま、改めて思う。
面接した方の中から選び選ばれた関係こそ、最適な人材と出会えたと喜び、この
ご縁に感謝したい。

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