第544号『布団の国の王様』

【影法師】
【影法師】

「痒いな」
腰のあたりに赤い湿疹を見つけたのは、月曜日の夜。
気にもせず就寝した。
翌日、朝から打ち合わせが続く。
「痒い、そして少しチクチクする」
帰宅して、鏡でうつし視る。
疱疹がひろがっている。
「痛い、そして熱もある」
水曜日の朝一番に病院へ行く。
医師から「帯状疱疹」とあっさりと告げられた。
原因は、過労とストレス。

就職後、間もない日活撮影所で初めて帯状疱疹に罹った。
痛くて痒くて、熱も出た。
この時、ボクは藤田組(藤田敏八監督)の製作進行をしていた。

仕事は雑用全般。
例えば、映画に登場する犬の世話、夜食の手配(そのころ、コンビニなどの便利な店
は存在していなかった)、監督の送り迎え、そして、喧嘩の仲裁。
少しわかりにくいので説明する。

2ヶ月にわたる撮影現場では、いつもどこかピリピリと緊張しながら進む。
特に、撮影部と録音部の関係はその典型。
撮影監督はフレームのなかでどれほどよい画が撮れるかと追求する。
一方、鮮明な音声を収録しようと録音部は、カメラフレームぎりぎりにマイクを入れる。
この、攻防はなかなかにスリリングである。
撮影監督が、「マイク入っているから上げて」と言う、初めのうちは録音部も素直に
聞いてるが、そのうち撮影も後半に入ると、お互いストレスも溜まる。
そうこうしていると、撮影部の非協力さに録音監督が怒り心頭した様子で突然、録音
スタッフ全員引き上げといった事体に至る。

ここからがボクの出番である。
一升瓶を2本二組用意し、撮影部と録音部それぞれに詫びに行くのである。
栓を抜き、一献交わす。
そして、手打ちし、撮影現場に復帰してもらう。
なんとも、古き時代の撮影所の儀式である。
しかし、大学を出たばかりの小僧にとっては荷の重い役割だった。
こうした、気忙しさに耐えきれず、帯状疱疹が発症した。
あの時は、痛みと熱のなか3日ほどベッドに縛り付けられたような状態だった。

今回はそれほどひどいくはないが、痛みも微熱もある。
1日完全休業し、ベッドのなかで過ごすことにした。
でも、実のところボクはこの状況を楽しんでいる。
それは、王様になれるから。

“少年は、高熱を発した。その熱がいつまでも下がらず、とうとう入院すること
になった。見舞いにきた友人が、うらやましそうに言った。
「君は、布団の国へ行くわけだな。あそこはいいぞ」

「高い熱は、そのうち下がってくる。君は、高い熱の尖った頭をうまい具合に撫
でて、まるい小さな頭にすることができるようになる。微熱というのは、いいものだ。
そうなれば、君は布団の国の王様になれる」”

吉行淳之介著『童謡』より

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