第656号『4月は惜別と再会の月』

IMG_4889s【弘前城の桜】

4月は惜別と再会の月だ。
9年前の4月8日、母は自宅で息を引き取った。
朝、同居している妹が起こしに行くと、普段と変わらず眠っているかのように、それはそれは、綺麗で静かな最後だったと教えてくれた。

4年前の4月11日、入院してから僅か一週間。
父は病院で亡くなった。
92歳の大往生だった。
母と同じ4月に、逝ってしまった。
いろいろなことがあったとは思うが、子供の目からは、仲の良い夫婦だった。

ボクは高校を出てから、ずっと東京、横浜で暮らしてきた。
大学時代も、就職してからも、夏の数日、ほんの短い間しか実家には帰らなかった。
故郷が嫌だったわけではなかった。
ただただ、東京での生活や仕事が面白かった。
実質、父と母と暮らしたのは18年余りの時間でしかなかった。

二人の死は、別れの覚悟も余韻も与えてくれる間もなく、鮮やか過ぎるくらいスッと何処か別の場所に移動したかのようだった。
だからなのか、いまも生きているのではないかと思えてしまう。
おかしな物言いだが、父と母のことが過去形にならない。

では、過去形とは何か?
この難題に、ひとつの答えを出した哲学者が大森荘蔵だ。

ここからは、受け売りである。
例えば「昨夜、嵐で雨が降った」という過去をイメージできるか?と。
目を閉じてそのシーンを思い浮かべてみる。
すると、雨は今まさに、風とともにザーザーと進行形で「降っている」ではなか。
では、この「降っている」状況を過去にするにはどうすればいいのか。
それは「降った」と言い換えるしかないのだ。
つまり、ボクたちは言葉で「降った」という過去を体験するのだ。

ボクたちは、過去から現在、そして未来へと線上を移動するがの如く生きているわけではない。
常に、今、この時を生きているのだ。

ただ、あまりに膨大な数の今があり、いちいちそれに拘泥していられない。
かりに、こだわり、引っかかっていたら、おそらく一日ともたず半狂乱になってしまうだろう。
だから、どうでもいいことは過去形にして後ろに押しやるのだ。

でも、本当に大切なことは、いつまでも過去にはならない。
思い浮かべてみればすぐにわかる。
死んだはずの、父と母がボクの心の中でしゃべり、笑い、今も生き、彼らと再会している。

「ようやく咲き始めた弘前城の桜を観にいこうか」と、おやじとおふくろが笑顔で話している姿が、はっきりと見える。

《GWお休み期間のお知らせです》

例年通り、GW休みを設けさせていただきます。

4月29日(金)および5月6日(金)の2回。

次号開始は、5月13日(金)からの配信予定です。
よろしくお願い申し上げます。

           ファンサイト 川村隆一

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