【日本国憲法】
もうすぐ選挙である。
今回の選挙の争点の1つが、ほとんど議論をする間もなく、憲法をいじることを許すかどうかということ。
そもそも憲法とは何か、自分なりにおさらいしてみた。
憲法とは、国家権力に対して、主権者である国民が身(人権)を守るための道具である。
言論の自由であれ、出版・信教の自由であれ、現在ボクたちが享受している基本的人権は、人類が長い闘いの果てに獲得した成果である。
決して、国民が国家から縛られるような枠組みではない。
もちろん納税・勤労・教育の義務は定められているが、あくまで国民の権利を保障することこそが憲法の中心的な役割である。
・最近の日本人は礼儀作法がなっていない。
・家族の絆が希薄になっている。
・美しい日本文化を守らなければならない。
こうしたことがらについて、憲法の項目に増やしたところで、問題が解決するわけではない。
先日、目の当たりにした英国のEU離脱劇や、これから、ますます過激になりそうな大統領選でのドナルド・トランプ候補など、劇場型で大衆迎合的行動が民主主義の危うさを際立せている。
40年も前の記憶である。
大学時代、デザイン史の講義で今日のデザイン教育の礎となる「バウ・ハウス」とドイツ・ワイマール憲法、そしてヒトラーがいかにして政権を奪取しかを知った。
「バウ・ハウス」ができたのは、第一次世界大戦後のドイツ。
人々は敗戦を経て、それまでの皇帝主導の政治から民衆主権の政治へと変り、当時もっとも優れて民主的といわれたワイマール憲法のもと、自由を謳歌していた。
しかし、この憲法が施行されていた時代、選挙を通じて合法的にナチスは政権を奪取したのだ。
その後、ヒトラーは憲法を停止、独裁者の地位に上りつめた。
憲法は、多様な価値観を認め、普遍的に主権者である国民の権利を最大限、守るものでなければならない。
国家が国民の立ち振舞を規制したり、日本的な価値や伝統の定義をしたりするものであってはならない。
たとえば、郷土愛や家族愛を押し付けるといったこともその典型だろう。
そもそも、こうした愛のカタチは個々に心の中で育まれるものであって、国家によって無理強いされるものではない。
政治に道徳的な考えが持ち込まれ、過度に国家主義や懐古主義をはらみだすと、概ね、ろくなことにはならない。
ボクも国家の主権者の一人であり続けるために、しっかりと考え投票しようと思う。