第666号『形見』

IMG_7308s【98年型電動シェーバー】

電動シェーバーの調子が、今ひとつ良くない。
充電式だが、その蓄電時間が短くなってきた。
無理もない、もう15年もの間ほぼ毎日使っているのだから。

このシェーバー、弟が生前、新品で購入し、使い始めて間もなく病に倒れた。
脳腫瘍だった。
それから3年、必死の闘病生活だったが、2001年7月12日早朝、47歳で永眠した。
若すぎる死だった。

長男である、ボクの代わりに家業を継ぎ、地元の商工会や、地域の祭りなども先頭
に立って動いていた。
ボクが帰省した時、待ち構えていたかのように、もっと活気のある町にするためにはどうしたらよいかと、夜遅くまで話し込んだ。

学生時代、柔道で鍛えた178センチ、110キロの身体とはそぐわないベビーフェイス。
映画が好きで、バイクにまたがり、笑顔がさまになる奴だった。
誰からも愛され、信頼も厚かった。

弟の死を目の当たりにして、ボク自身が大きく変わった。
これまで、先送りにしていたことに、向き合うしかないと。

カッコ、つけていました。
別に俺が主役にならなくてもいいと。
それなりのポジションで、それなりに稼げていればいいと。
知ったかぶりを決め込み、中心的な役割を果たす人の補佐役として重宝がられて
いる自分でいいと。
その気になればもっと力をだせるのに、それをしないでいる自分。

でもそれは、主役でも脇役でもなく、自己満足に浸っているだけの傍観者だった。
自分の人生を、他人に委ねていただけのことだった。

誰のものでもない自分の人生を、自分で引き受ける。
ボクはこうして、50歳で起業した。

あれから15年、いまだに問題の山また山。
荒波に揉まれる小舟。
でも、その度にうんうんいいながら問題の山を登り、小舟を漕艇し、山も波もひとつひとつ乗り越えてきた。

形見にシェーバーを選んだのは、毎日、使う度に弟が身近にいるように思えたからだ。
今朝「まだまだ、動くかぎり毎日使わせてもらうからな」と、弟に呟いてみた。

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