第751号『おさらい』

【日々好日だニャ】

来週の日曜日には、選挙によって新たな国政のカタチが決まる。
本来、政治には関心はないが、あまりの混沌さに呆れるばかりで、少し整理してみたくな
った。

そもそも論になるが、ここで、憲法とは何か?を自分なりにおさらいしてみようと思う。

言論や出版の自由であれ、信教の自由であれ、今日、僕たちが享受している基本的人権は、
先達がこれまで長い年月をかけ闘って得た成果である。

そもそも憲法とは、国家権力に対して、主権者である国民が自らの身(人権)を守るための
「道具」とでも言えるものである。
もちろん、納税・勤労・教育の義務など定められてはいるが、国民の権利を保障することこ
そが憲法の本質である。

最近の日本人は礼儀作法がなっていないとか、家族の絆が希薄であるからといって、それは
憲法とは何の関係もない。
道徳や家族の有り様について、憲法の項目を増やしたところで問題が解決するわけではない。
つまるところ、基本的人権とは普遍的なものであって、日本的な権利とか、欧米的な権利と
かといったたぐいのものではない。
諸外国においても、この基本的人権に関しては、現代民主主義国家の憲法下では、ほぼ大同
小異。

ではなぜ、多くの日本人は「国家権力から身を守る最後の手段が憲法である」という基本的
なことを十分に認識していない(ように見受けられる)のか?

理由の1つ目は、実感がないということ。
例えば、フランスのように王権から民衆が権力を奪取したものでもなければアメリカのよう
にイギリスの植民地からの独立を勝ち取ったものでもない。
日本人自らが、血を流して闘い取った権利ではなく占領下でアメリカによって与えれた実感
なき権利である。

2つ目の理由は、(欧米のような)政権交代に不慣れな国民と政治家であるということ。
本来、与野党を問わず憲法が保障する権利(野党になったとき、政権与党側からの攻撃や様々
な圧力を跳ね返す武器が憲法である)を有することは不可欠である。
皮肉なことに、政権の座を降り野党になったことで、(恐らく)骨身にしみてそのからくりを
理解したのが、自民党だったのだ。

大切なことだから、繰り返す。
憲法は、多様な価値観を認め、普遍的な主権者である国民を最大限に守るものでなければなら
ないし、国家や政治家が国民の立ち振舞を規定したり、日本的価値観や伝統を定義したりする
ものであってはならない。

憲法が足蹴にされた実例がある。
当時、もっとも理想的な民主主義だといわれた、ドイツ・ワイマール憲法下で、選挙を通して
合法的に政権についたのがヒトラーである。
その後、ヒトラーは憲法を停止し、独裁者の地位に上りつめた。

戒めである。
誰かを足蹴にし、土下座させることのできる者は、いずれの日にか、自らが同じ立場に立たさ
れるという事態が起こりうるという創造力に欠如している者でもある。

憲法はこうした道理も、静かに教えてくれる。
22日は投票に行こう。