第783号『渡った先にあった』

【森の中で】

先週、妻と共通の友がロスアンゼルスから里帰りしていた。
国内の旅の途中、彼女と二人の子供たちが我が家に滞在した。

いまでは、アメリカの地でママとしてしっかりと根を張り頑張っている。
彼女と初めて会った15年前、なぜ、アメリカで暮らすことになったのか、
その理由を聞いたことがある。

高校1年の夏、国内で行われたアメリカ留学の試験に合格したことがきっ
かけだった。
しかし、そもそもなぜ、彼女はアメリカに行こうと思ったのか。
中学時代から続いていた獏とした不安と、どこにも居場所がないような
所在なさからの逃避。
そして、英語とアメリカという未知の世界への憧れ。

9月新学期、不安を抱えながらからアメリカの高校1年生としてスタート
した。

授業が始まって間もなく、日本での環境とまるで違うなかで、しかも英
語もまだまだ上手く操れない。

そんなある日、学校主催のオリエンテーリングに参加することになった。
渡されたのは、英語で書かれた幾つかの場所の説明と、ラフな地図が描
かれている1枚の紙切れ。
こうして、1クラス20数名の新入生と担当教師とで、いくつかの沼と湖
のある森林公園でオリエンテーリングは行われた。
初めのうちは、それでもグループで行動していたが、時間が経つにつれ
次第にばらばらになり、気がつけば彼女は一人になっていた。

ざわざわする気持ちを必死に抑え、渡された紙に書かれているポイント
を読み解きながら進んでいった。
そして、背の高い草むらを抜けると目の前に、沼がひろがっている。
まさか、ここを渡るの?
そんな疑問が、頭の中を駆け巡ったという。
しかし、どう読んでも地図で確かめても、ここを渡れと書いてある。
あたりも日が陰りはじめている。

意を決して、沼のなかに分け入っていった。
靴を脱ぎ、足を入れると水が冷たい。
足首が泥に掴まれたようなイヤな感触。
腰まで浸かりながら、それでも構わず進んだ。
そして、なんとか乾いた陸地へと這い上がることができた。
涙が溢れ、風景が滲んだ。

悲しいときだけではなく、安心した時にも、人は涙を流すものなのだ。

最終ゴールまで残り少し、なんとか沼を渡りきり最後の木立を抜ける。
なんと、ゴール地点にはクラスメート全員が彼女を待っていた。
その時の、拍手、笑顔、涙、ハグはいまでも忘れないという。
それは紛れもなく、彼女が自分の生きる場所をつかみ取った瞬間でも
あった。

かたわらで、二人の息子たちを寝かしつけている彼女の(それは、た
くましさと優しさを併せ持つ)姿を見て、嬉しい気分になった。