【父の形見】
ようやく我が家にも、ビニール袋に入った2枚のマスクが届いた。
この2枚のマスクを手にして、92歳で亡くなった父が話した言葉を思い出した。
父は故郷、津軽で時計修理の職人として小さな時計店を営んでいた。
余談だが、倅の原作『世界から猫が消えたなら』の映画化で主人公の実家は小さな時計店として設定されてる。
そして主人公の父は、仕事場の机にへばり付き、一心不乱に時計の修理をしている。
おそらく子供の頃、帰省した折に見た祖父をイメージして描いたのだろう。
ともに商いを切り盛りしてきた妻(僕の母が)亡くなり、一旦は店を閉じたが、職人として85歳まで働いていた。
その理由は、竜頭(りゅうず)を巻いて動かす時計を持つお客様が、なかなか辞めさせてくれなかった。
ゼンマイ式の時計の修理ができる職人が年々少なくなり、人づてに聞いたというお客様からの依頼もあった。
幸い病に侵されることもなく、自立した高齢者としてのプライドを持ち、新しい情報に興味を持つことにも怠ることなく、日々を過ごすことができていた。
こつこつと信頼関係を築いていた。
幸せな人生だったのではないかと、あらてめて羨ましく思う。
父の話をもう少しさせて欲しい。
父は、敗戦後シベリアで抑留されていた。
時計職人としての修行を終え、ようやく独り立ち(場所は叔父が開業医として暮らしていた、横浜の金沢文庫を予定していた)しようとしていた。
そんな矢先、赤紙=召集令状がきた。
そして、1945年8月の敗戦と同時に満州で不当にもソ連軍の捕虜となり、3年もの間、極寒の地に抑留された。
軍隊に招集されて4年、さらに捕虜として抑留された3年。
7年もの長きにわたり、自由(20歳から26歳まで、最も青春を謳歌できる季節を)を剥奪された。
ある日、父の仕事場の後ろの棚の上に、ビニール袋に入った2本のタバコが置かれていた。
よく見ると、菊の紋章がたばこに印字されている。
酒もタバコをやらない父だから、なんだろうと思い聞いてみた。
父は「国からいただいた」とさらりと言った。
続けて「日本国の兵士としてシベリアに抑留され、その苦役に対する労いの印として贈られたものだ」と、そしてそのあと押し黙った。
おそらく、父は言葉では語れないほどの地獄をシベリアの地で見てきたのだと思う。
その、労いが菊の御紋の入ったタバコ2本。
戦前の教育を受けた人間にとって、心情の如何に依らず菊の御紋には、自然と頭を垂れるのだとも言っていた。
抑留から開放され、命からがらハバロフスク港から京都舞鶴港に。
着岸した時、横浜で自分の店を持つという野心も何もかも、かなぐり捨て、一刻もはやく津軽に帰ることしか頭になかったという。
終戦後、3年も出遅れて帰国し、戦後復興の波にも乗ることのできなかった父は、故郷で小さな時計商を営み僕を育ててくれた。
日々、時計修理という細やかな仕事を懸命にやっていた。
それは、働くことと生きることが同義だったからだろう。
そして、父が30歳の時、僕が生まれた。
穏やかで、真面目で、口数が少ない。
そんな父だったけれど、ある日いつになく強い言葉が僕の記憶に残っている。
「国家は嘘をつく」、と。
戦時中、国は国民に盛んに国債を買えと喧伝した。
それが、戦争に敗れすべて紙切れになった。
戦争に敗れ、父をはじめ市井の人は、心の何処かで国家を信じることができなくなっていたと思う。
それでも、家族や故郷と周囲の仲間、そして時計の修理を依頼してくれたお客様のために、いま自分ができる小さなことを必死に引き受けてきたのだ。
今日、国家から送られてきた2枚のマスクを手に、僕は父の言葉を思い出した。