【花言葉は、また会う日を楽しみに】
先週12月4日は、友、川村佐(人偏に左と書いて、タスクと読む)の17回目の弔い日だった。
タスクとは高校入学時、席次が僕の一つ前で苗字が同じだったという偶然の出会いから始まった。
彼は、病気のため一年遅れての入学だった。
音楽・映画・文学・政治経済と、多岐にわたり長じていた。
ローリング・ストーンズのカッコよさを教えてくれたのも、三島由紀夫の天才ぶりについて語って聞かせてくれたのも、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』を一緒に観たのも、タスクだった。
クラスの中で、徒党を組まず目立つこともないけれど、静かで強いオーラをもつ男だった。
卒業時、トップクラスだった彼の進路を、誰もが疑いもなく有名大学に進学するものと思っていた。
ところが、タスクは全く違う道を選んだ。
しかも、突然、僕たちの前から姿を消すというやり方で。
そして、1年後、偶然にも東京で再会した。
その時、タスクは社会人、僕は一浪してなんとか美大に滑り込み、学生生活を始めたばかりのころだった。
それからは、お互いに連絡を取り合い、長きにわたる付き合いをしていた。
その間、就職、結婚、出産と子育て、転職と幾つもの出来事があり、その度に酒を飲み、他愛もない言葉を交わし、互いの近況報告を只々ウンウンと頷いて聴き、そのことをなんの力みもなく受け入れてきた。
僕がファンサイトを起業する時、大きな迷いがあった。
その時も、タスクは頷きながら話を聴いてくれた。
そして帰り際、彼が一言、僕に話してくれた。
「リュウ(タスクは僕をリュウと呼んでいた)、いろいろあるだろうけれど、どんなことがあっても俺はお前の味方だぜ」と。
心に沁みた。
人は正しいことを言われるよりも、受け入れてくれるほうが、どれだけ救われるか・・・。
そのタスクが17年前の12月4日、自ら命を絶った。
最後に電話をもらった日のことを、今も昨日のことのように覚えている。
いろいろあって、少し落ち込んでいると、彼にしては珍しく弱音を吐いていた。
年末には飲もうと約束して電話を切った。
今度は僕がタスクに、「どんなことがあっても俺はお前の味方だぜ」と言う番だったのに。
12月4日が来る度に考える。
なぜ、タスクは死を選ばなければならなかったのか。
誰もが不確かで自信を持てない時代に生きている。
頑張っているのに、なぜかその成果をなかなか実感できずにいる。
仕事の前線で、それこそ満身創痍で戦っている。
そして、人生の森で道に迷ってしまった。
・・・彼は死の抱擁に救いを見出した。
疲れて傷ついていたのだろう。
悔しいが、僕は彼を死という闇の抱擁から引き戻すことができなかった。
いま、友への弔いは何かと問われれば、その答えは僕は僕に残された時間を精一杯生きることだ。
「タスク、友達になってくれてありがとう。今度会うことがあったら、また一緒に酒でも飲み交わそう」
僕が生きている限り、僕の記憶の中で君は生き続けている。