【学ぶは真似ること】
今週金曜日から授業が始まる。
これが蒲田にある日本工学院専門学校での、最後の講義となる。
専任として14年、非常勤講師で31年。
長きに渡りご縁をいただいたことに、卒業生そして職員の方々に感謝したい。
あらためて希望と自戒を込め、最後の1年間をどんな想いで学生と授業とに向かい合うかを記したい。
学生諸君へ。
世の中には、病気で、事故で、あるいは自ら選んで青春を迎えられず去っていった若者たちが数多くいる。
そうではなくても、ほぼ全ての人がなんらかの障壁にぶつかり、人生を送ることはそう簡単ではないと気付く。
それはどんな人であれ、のたうち回るほどのことである。
それが、僕たちの生きるということだ。
しかし、そうであっても生きていることがどんなに素晴らしいことか、やがて、君たちは自身の生きている意味をつくづく考える日が必ずくるはずだ。
だがそれよりも、もっと大切なことがある。
それは、「人間は自分以外の誰かのために懸命に生き抜く」ということだ。
「人のために生きる?」
「うそ、そんなの偽善だよ」。
そう君たちは思うかもしれない。
でも、偽善ではないのだ。
今、この国の多くの大人たちが自覚的に、あるいは無自覚に行っている振る舞いの醜さ。
それは、誰かのため、何かのために懸命に生きる姿勢を示せていないことに尽きる。
誰かのために懸命に生きることで、世の中が、人の営みが、いかに愛おしく悲しみに溢れているかが見えてくるはずだ。
そして、その愛おしさや悲しみを受けとめることのできる人であってほしい。
そのためにも、まずは自分を信じ愛してあげよう。
不正や嘘が横行しているこの社会。
いつまでも組織にしがみつき、醜態をさらしている大人たちが・・・。
SNSで、皮肉めいた批評や誹謗中傷ばかりしている者たちが・・・。
嘘で、この国のカタチを歪めている政治家と役人が・・・。
多くの若者たちは、こうした大人たちの姿をみてうんざりしていることだろう。
僕は約束する。
僕は教えるために再度、新しく学ぶ、そして新しい何かを調べ行動する。
過去を振り返ることも大事だが、それだけでは物足りないし、寂しい。
だから初心者の気持ちで立ち向かい、これまでの人生に加えて、自分の世界の奥行きと拡がりを獲得する。
そして、君たちに僕の知り得たことを必ず伝える。