去年の暮れから一日の始まりと、終わりに必ず使うモノがある。
ノートと万年筆である。
ノートは200年前にフランスで創業(現在はイタリアで製造)されたモールスキン(MOLESKINE)。
耐久性にすぐれヘミングウェイ、ゴッホ、マチスなどが愛用していたという。
とりわけ、ゴッホの「ひまわり」の下絵が描かれたのがこのモールスキンだったということでも知られている。
万年筆はドイツで生まれたモンブランである。
いま手元にあるのは原型が1924年に製造開始されたマイスターシュテックの149ブラック。
もともと、ノートも筆記具も必要な時は100円ショップか、少しおしゃれを気取って無印良品あたりで買うのが関の山であった。
むしろ、それを好しとしていた。
朝6時頃には仕事場にいる。
最初にすることはモールスキンのノートにモンブラン・マイスターシュテック149で、今日一日するべきことを書く。
たとえば、
□水を飲む。
□ストレッチする。
□メールをチェックする。
□●●社の企画書を作成する。
□・・・・・・・・・。
□・・・・・・・・・。
ほぼこれで一日の半分の作業は終わる。
こうして頭の中にある未整理な、もやもやがスッキリする。
あとは順番に、この項目を実行する。
そして、一日の終わりに今日、出会った事柄と気付いたことをほんの数行モールスキンのノートにモンブラン・マイスターシュテック149で書く。
数冊の自己実現のためのハウツウ本を読んで、ノートに書くだけでかなりのことが実現することを知っていた。
だから、ノートに書くという作業は去年もその前の年も実行していた。
でもその時は、どんなノートにどんな筆記具で書こうが別段どうでもいいことだと思っていた。
しかし、どうやらそれは違うと最近感じている。
いま、まさにほんの一瞬の歴史の中に生きている自分は、その結果がどうなるのか知る術もない。
だから努力はするが、恣意にまかせ漂い生きるものと思っていた。
使い始めて3ヶ月、モールスキンのノートもモンブラン・マイスターシュテック149も自分の歴史をはるかに超えて作り続け、守り続け存在してきたモノである。
毎日使い、手に馴染みそのことがどんな意味を持ち、なぜその意志が受け継がれてきたのか少しは理解できたような気がする。
では、どうでもいいノートに、どうでもいいペンで書くこととどこがどう違うのか。
それは、ただ単に機能としてのノートとペンではなく、書く意志を明快にし、実現することを後押しする何かが潜んでいる。
それをブランド力と呼ぶのだろう。