第972号『ふりをする』

レイモンド・カーヴァーは好きな作家のひとりである。彼の代表作『ぼくが電話をかけている場所』。この短編集の中で大聖堂(カテドラル)という小篇にはとりわけ心掴まれる。彼の作品の大方は、事件らしきことは起きない。したがって「トリック」や「落ち」もほぼない。敢えて言えば、平坦で静かな日常の中で、他者とのかかわりで生ずる小さな暴力性のようなものがモチーフとなることが多い。『ぼくが電話をかけている場所』のあとがきに、”彼の書くこと”についての作法(スタイル)について記されていた。

こんな内容である。少し長いが引用する。「かつて私はかなり出来の良い短篇を書いた時、最初私の頭の中には出だしの一行しか浮かばなかった。何日間か私はその一行を頭の中でこねくりまわした。『電話のベルが鳴った時、彼はちょうど電気掃除機をかけているところだった』という文章である。私はこの一行の中にはストーリーがつまっていて、外に向けて語られたがっている、と思った。(中略)それで、朝机に向かい、最初の一行を書く。それにつづく文章が次から次へと浮かんでくる。」

カーヴァーもおんなじようにしているんだ、と思わず頷いた。不遜ではあるが、僕も同じように最初の一行が出てるまで思いを巡らしている。

僕のブログ『ファンサイト通信』は基本的に週1回の配信。もうかれこれ20年以上続けている。ブログの域をでるものではないが、それでも文章を書き続けることは容易なことではない。聞くところによれば、プロの書き手には自分なりの執筆に集中するための儀式(とでも言うようなもの)を持っている人が多いという。
例えば、吉村昭(「漂流」が好きだ)は、部屋中を徹底的に掃除するところから始めるという。さらに、中島らも(「ガラダの豚」が1番好き。こいつは本物の天才だと思った)に至っては、机の引き出しの中にバーボン一本入れておき、書き始めにラッパ飲みしたという。さすがに中島らもを見習うことはできないが、宇野千代の方法なら、なんとかできそうだ。

宇野千代は文章を書くときの心がけを、次のように記している。「毎日書くのだ。書けるときに書き、書けないときに休むというのではない。書けない、と思うときにも、机の前に坐るのだ。すると、ついさっきまで、今日は一字も書けない、と思った筈なのに、ほんの少し、行く手が見えるような気がするから不思議である。書くことが大切なのではない。机の前に坐ることが大切なのである。机の前に坐って、ペンを握り、さァ書く、という姿勢をとることが大切なのである。自分をだますことだ。自分は書ける、と思うことだ。」

彼女のブレない心の佇まいを感じる。

宇野千代の言葉をもう1つ。「何事をするのにも、それをするのが好き、というふりをすることである。それは、単なるまねでもよい。すると、この世の中に、嫌いなことも、また嫌いな人もなくなる。このことは、決して偽善ではない。自分自身を救う最上の方法である。」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です