第983号『自分らしさの呪文』

久々、体重計に乗った。表示は69,5キロ。1月2日の朝に計測したときは72,5キロ。2日にアキレス腱断裂した後、体重を計っていなかったから1ヶ月で3キロも減ったことになる。毎朝測る血圧も、ここのところ、上が120/下が70前後、脈拍は50前後である。いつもなら、もう少し高めだからこの数値は喜ばしい。当然、運動量は格段に減っているが日々の食事や仕事の仕方にさして変化はない。

それではと、こうした状態に至る要因を考えてみたが、思い当たる節はひとつしかない。酒である。怪我をした後、酒を口にしていない。飲むと血流が良くなり傷口がズキズキと疼くのは嫌だし、細胞レベルで飲まないほうが治りが良いのではと思ったからだ。

これまでの我が人生で、これほど長きに渡り(一ヶ月以上)酒を飲まないでいたことはなかった。ほぼ毎日晩酌を習慣にしているし、仕事や仲間との集まりでも飲むことは好きだ。なのに、いまのところ存外に酒が飲みたいと思わないで済んでいる。いっそ、このまま止めてしまうことも出来そうな気がしてきた。でも、なんだかモヤモヤしている。この気分はなんだろう。タバコを止めた時の心持ちにも似ているような気がする。

タバコを止めた時のことがよみがえった。
ピースが好きだった。日に20本は吸っていた。ニコチンもタールもたっぷりと含み、深い味わいがあった。そういえば、フランク・シナトラが来日した時、吸っていたキャメルが切れ、楽屋に居合わせた関係者からピースをもらい口にした。彼は、ニコリと笑顔になり「こんなにうまいタバコが日本にあるのか」と驚いたと言ったという。嘘か真か、誰に対しても気さくなシナトラらしい逸話である。

禁煙して40年以上になる。理由は、トライアスロンを始めたから。泳ぐ度に、300メートルを超えたあたりから息苦しくなる。30歳を過ぎて泳ぎを覚えた身としては、大袈裟ではなく1500メートルを完泳するか溺れるかの選択を迫られたように感じた。そして、タバコを止めることを選んだ。

ではどうやって、10年以上習慣化した喫煙を止めることが出来たのか。「止め続ける」にせよ「やり続ける」にせよ、続けるには意思というよりは、コツのようなものが必要だ。
・思い立ったその時から始める。「止めよう」あるいは「やろう」と思ったその日が始める時である。
・ともかくも、毎日続ける。例えば、途中で1、2本吸ってしまったとしても、そこからまた始める。
・ノートに書き、数字で見える化する。
僕は意志薄弱なところがあり、スパッと止めることができなかった。そこで、吸った本数を記録した。そのうちに、吸っている本数(日に10本として30日で300本、3ヶ月で900本)に驚き、気分が悪くなった。
・習慣化している場所から移動する。
よく考えると、吸うシーンごとに場所がある。寝起きに、食事後に、酒の場で・・・。そのシーンの場をずらす。例えば、いつもなら食事後の一服となるが、その席を立ち別な場所でタバコの代わりにお茶を飲む、といった具合に。

タバコはまるでどす黒いタールのように、生活行動の細部に至るまでへばり付き入り込んでいた。だから、タバコを吸うという習慣から抜け出すことに時間が掛かり、それはそれは至難だった。一方、酒は晩酌や仲間との特別な集まりといった具合に限定されている。だからタバコに比べれば飲まないことへの渇望(もちろん、タバコも酒も中毒性はあるが)はそれほどには感じない。それでも、酒を止めることに躊躇しているこの気分とはなにか?

この気分、つまり「止める」ことを躊躇している一番の要因は、「止めたら自分らしくなくなるのでは」という思い込みではないか。これまで習慣になっていることを「止める」、あるいはこれから「始める」ということは、いずれにしろ自分らしさの構築作業である。

さて、怪我が完治したら酒を呑むことを再開するのか、このまま止めるのか。しばらくの間「自分らしさの呪文」を巡る旅をしてみたい。

2件のフィードバック

  1. いいですねー。
    今週もまた、すごく面白かったです。
    いつも、ありがとうございます。

    自分らしさが、なくなる気がするって悩みにとても共感しました!特に、私は、タバコを吸うので。^_^

    また、私は下戸なので、お酒が飲める人をとても羨ましく眺めるばかりなのですが、
    川村代表がお酒を断つのかどうか、とても気になりました。

    下戸の自分にとっては、
    お酒は、「付き合えると喜ばれることが多い」気がしてまして、タバコと違って、
    1か0の選択をしなくても良いような気がしております。
    晩酌はやめるけれど、人と会うときは飲むみたいな、都合の良い付き合い方もあるのかなあと、、、。

    テーマである、自分らしさから少し逸れてしまいました。生意気を申しますが、お酒を飲んでも飲まなくても、きっとすてきな川村さんは、何ひとつ変わらない気がしております。また、いくつになっても変化し続ける点においては、お酒を止めることも、ある種の川村さん「らしさ」なのかもなあと感じております。

    1. 小田切さん、いつもご高覧ありがとうございます。本当に励みになります。怪我で部屋にいる時間が長いせいか、ついついどうでも良いようなことを考えてしまいました。それにしても、「自分にとっての「自分らしさの呪文」は何だろう」とか、「果たして、自分はそれをやめても自分らしくいられるだろうか」とか、「自分らしさがなくても、生きていけるのだろうか」と。簡単な自問自答(答えはまだ霧の中ですが)なのに、つい深く考えちゃいました。引き続きよろしくお願いします。

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