ここ数年、地元横浜で開催されているトライアスロン大会に出場するのが慣わしになっている。正月に孫とバレーボール遊びをしていてアキレス腱断裂。そして手術、その後リハビリをしながら、なんとかしてレースに出ようとトレーニングも続けた。何度か諦めかけたが、周りの励ましもありレースに出ることができ、運良く完走することも出来た。目標にしていたことをクリアし、肩の荷が下りた。
レースも終わり、久々にのんびりとした週末を過ごすことができた。そして、ふと自分の来し方行く末に、あれやこれやと思いを馳せてみた。
曲がりなりにも自前の死生観のようなものを持っている。言葉にするなら、”生まれてから死ぬまでの時間が、その人の一生”。つまり、その時間を使い切った時が、その人の人生の終わり。生まれ変わりもしなければ、天国へも地獄へも行かない。骨になり灰になり、風に散る。人生は思いのほかに短い。この現実を見つめると、限りある日々を精一杯、大切に生きようという気持ちになる。悔いなき人生を!。だから、今日という日は二度と来ないという当たり前の日々を見つめる。
71歳が、どんな意味を持つかは人それぞれだろうが、少なくとも残りの時間も肉体的な許容量も、それほど有るわけではない。だからあれもこれもやりたいとも思う。しかし、その全てを出来るわけではない。いや、むしろ、あれもこれもとやらないという選択、戦略もある。
選択し、僕がやり続けたいこと。
・「ファンサイトの啓蒙活動」をテーマに(飯をともに食えると思えるお客様や仲間たちと)仕事を続ける。
・トライアスロン競技を年2,3回出場するだけの体力と気力を鍛えて仲間たちとレースを楽しむ。
・佳き映画を映画館でじっくりと鑑賞する。
・リリー(猫)と妻とご機嫌に暮らす。
これを続けるためにはどうすればいいか?
答えは、しすぎないこと・・・過ぎたるは猶及ばざるが如しである。欲張りすぎて、仕事の楽しさと質を落とすな。トレーニングをしすぎて、怪我をするな。映画は映画館で!観る数よりも質を落とすな。そして、ご機嫌になるには互いに縛らず解放してあげること。
”老後の風体に似合ふことを習うは、老後の初心なり”
老いてこそ、ふさわしい技芸というものがある。初心とは、その時々の年齢と場所に応じた戦略的野心のことだ。それに挑むべきだと。およそ600年ほど前、能の世界で生き抜くための作法を説いた戦略本『風姿花伝』で世阿弥は、そう説いている。