先日、新規プロジェクトに関してキーマンのお一人との面談があり、プレゼンをすることになった。これまでの実績や経歴など一連の資料を用意してみたが、なんだかありきたりでいまひとつ面白さに欠けるように感じた。いっそのこと、資料を提示せずにアプローチしたらどうなるかと考えてみた。そして、僕自身のことを話してみることにした。50歳を過ぎて起業したのはなぜか?なぜ、ファンというテーマを軸にしたのか?今に至るまでどんなことをやってきたか、そしてこれからどんなことをやりたいかをお話した。僕の考え方や、これまでの来し方を面白がってくれた。話し終えて手応えを感じた。
面接とは何か?人と会って話すこと。それは、自分について自ら語ることである。具体的に言えば、自らの過去の記憶を物語ることであると、自分勝手にそんな定義で理解している。
数年前、フランスの哲学者で精神医でもあったジャック・ラカンが、「記憶」について語っているテキストを読んだ。彼によれば、「記憶」とはかならずしも過去の真実とは限らない。あらゆる自分についての物語がそうであるように、断片的な真実を含んでいるとしても本質的には「作り話」でしかない。なぜなら、私たちが過去を思い出すのは「聞き手」に自分がどんな人間であるかを理解してもらい、承認してもうことができそうだと思えた時である。
別の言い方をするなら「自分がどんな人間であるか」の告白は「自分をどんな人間と思ってほしいか」というベクトルで話されるのである。つまり、固く封印された記憶を解き放つと、そこに立ち現れるのは昔の過去ではなく、私がこれからなりたい「希望」、あるいは私が思い描いていることになりつつあるものを、未来のある地点において、先取りするかのように、すでになされたこととして語る前未来なのである、と。もとより、「記憶」には「希望」が織り込まれているのだ。
面談にコツがあるとすれば、それは徹頭徹尾、ワクワクして(失敗も含め)楽しいことについて語ることだ。川村と組んだら、なんだか面白いことができそうだ。そんなふうに思ってもらえることが一番だ。なぜなら、人は明るくて楽しくて、希望を感じる方を選ぶ生き物だから。