二十年以上も会社をやっていれば、苦境に立つこともしばしばある。例えば、納品締め切りを、あと数日に控えていながら作業が遅々として進まない状態に至ったり、アイディアが閃かず、悶々とした日々が続いたり、支払のための資金繰りに窮し頭を抱えていたり、と。こんな時こそ、自らの振るまいと心のありようを鍛えるチャンス到来だと開き直り、気持ちを切り替えることにしている。
思い出したことがある。30代のはじめ、面白半分に東横線学芸大学駅近くにある「笹崎ジム」に入門した。槍の笹崎(槍で突き刺すような左ストレートが得意だったことから命名された)のリングネームをもつ笹崎オーナーと、ボクサーを引退したトレーナーが指導していた。往年のボクシングファンなら誰もが知るところだが、ファイティング原田を擁して一代を築いた名門ジムである。余談だが百田尚樹著『「黄金のバンタム」を破った男』の主人公がこのファイティング原田である。
僕が入門した当時、ジムに住み込みプロとして活躍していたボクサーがいた。彼の記憶はいまでも鮮明に残っている。TV放送も少なくなり、ボクシング熱は冷めてはいたが、それでもスポーツ新聞を飾るランキング上位のボクサーがいることは凄いことだった。
試合が近づくにつれ、彼の目はギラギラし肉体が絞り込まれ、刃物のように研ぎ澄まされていくのがわかる。その減量は凄まじく、水をほとんど飲まず、ジムに備え付けのサウナに入りシャドーボクシングを繰り返していた。サウナから出てロッカールームで休んでいた時、雑談をしたことがある。僕は彼に「試合は怖くないのか」と聞いた。彼は「相手は怖くはないが、自分がやれるだけのことはやったと思えないと怖い」と話した。そして続けて「自分が怠けていることを、誰よりわかるのは自分だから・・・」、だから練習するのだと。
なにごとも、限界ギリギリな状態は人を強くする。いや、限界ギリギリな状態でしか、人は強くなれない。行動力・粘り強さ・バイタリティ・ストレスに耐える力・目標を達成しようとする意欲と意志。こうした力は苦境に立たされ、はじめてフツフツと体内から湧き出てくるものだ。人として、もっともっと成長したいから、これからも自分を信じ、やれるだけのことはやったと言える自分でいたい。