第153号『町並み』

少し蒸し暑い休日、菖蒲を観に千葉県佐原市にある水生植物園まで出かけた。
例年、6月下旬にはとっくに盛りを過ぎるのに、今年は気温が低いせいか幸運にも、水辺の花々を愛でることができた。

夕方、伊能忠敬記念館に立ち寄ろうと、佐原の市内を歩いた。
佐原は江戸中期から利根川の水運で栄えた商人の町ある。
町の中心地、小野川地区に足を踏み入れると土蔵造りの商家が立ち並び、タイムスリップしたような気分になる。

江戸から明治、大正期までの古い建造物がいまもしっかりと息づいていた。
一部を紹介する、天保3年(1832年)に建てられた佃煮屋「正上」、安政2年(1855年)建築の雑貨商「中村屋商店」、明治13年(1880年)建築の書店「正文堂書店」、明治25年(1892年)建築の蕎麦屋「小堀本店」等をはじめ、まだまだ数多く歴史的な建造物が立ち並ぶ。
そして、これらのほとんどが、いまもなお、家業を引き継ぎ、商いを続けていることに驚いた。
そして、もう一つ驚いたことがある。
それはこの町の人たちの「気さくさ」にである。
本当に上手い具合に話しかけてくれる。
お店でも、道ばたで地図をひろげている時にも。
おせっかいでもなく、五月蝿くもなく、案配がいい。
しばらく忘れていた気持ちよさを感じた。

ここ数年、近所にマンションや一戸建て住宅が引きも切らず建設されている。
そして、最近また分譲住宅ののぼり旗が立つ。

こうした住宅は、町並みを持つという発想から限りなく遠く、まるでプラモデルでも組み立てるようにして2,3ヶ月もあれば出来上がるマイホームだ。
出窓にかかるレースのカーテンも、木目調の「こだわり」 のある玄関ドアも、テラスに置かれた椅子やテーブルも、住まう人の意志の反映というよりは、いまの流行として、あるいは「こだわり」という名の商品としてメーカーから提供され、消費されるモノに過ぎない。
しかも、色もカタチもなんの統一感もなく。

私たちの国は戦後、国策として持ち家政策を推進してきた。
その庶民の夢の実現=マイホームという欲望のはけ口が生んだものは、人に迷惑をかけなければ何をしても許され、そして、自分が許容可能なメッセージだけを受信し、都合の悪いものはただのノイズとしてしか耳に届かない。
まるで自分には見えない「透明」な存在として他者を位置づけるしぐさと方法を身につけたようだ。
だから、回りがどうであれ、赤く塗りたければ赤くするし、白くしたければ白く塗る。
個人の自由という名の「エゴ」がむき出しのままにである。
これでは、界隈も町並みも生まれようもない。

迷惑を掛けていない、だから何をしてもいい。
子供たちは、電車で化粧するのも、コンビ二の前で地面にべったりと座り込み、カップヌードルをすするのも、自分たちにとって許容可能なもの以外は「透明」にしてきた大人たちから学んだしぐさだ。

こうした事態も、実は界隈と町並みを破壊してきたことに起因するのではないか。

小野川沿いに古い建物を見ながら進むと、道は三叉路に分かれる。
地図をひろげ、さて、どちらに進むかと迷っていたら、夕涼みをしていたおじさんがにこやかに話しかけてくれた。
そして、映画の撮影に使われた場所や、お勧めのお店など、道案内をしてくれた。

お礼をいい、立ち去ろうとしたとき彼が言った。
「この町も建物も古く、狭いけど、それでもぼくらはそれがよくてこうして、ここに住んでいるんだ。」と。

住まいは、必ずしも住んでいる人の暮らし方を反映しているとは限らない。
しかし、家はそこに住む人の思いが映し出されることがしばしばある。
同じように町並みは、その町に住まう人々の姿を物語る。
おじさんの一言に、この町に住まうことの意志がちらりと見えた気がした。

少し蒸し暑いが、川面から吹く風が気持ちいい。
もう少し、この町並みをぶらぶらと歩いてみることにした。

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