イギリスのジュレミー・ベンサムによって考案されたパノプティコン(一望監視施設)は周囲に円環状の建物を建て、その中心に塔を建てる刑務所の形態のことである。
このパノプティコンは1つ1つ独房に区分けされ、中央の塔にいる監視者からは囚人を監視できるが囚人からは監視者を見ることができない装置である。
つまり中心にいる者はすべてを見ることができるが見られている者は見ることができない、これがパノプティコンの原理である。ベンサムによれば監視されているという意識を自覚させることによって悪事の抑止につながるとの考えであった。
規律に従わないものを隔離するというこの装置が、<良い人間=社会的に順応する人間/悪い人間=社会的に順応できない人間>に分別し管理することで明確にされたわけである。
あらゆる生き物の頂点に立ち、神に変わって地球を支配するのは「人間」であるという考えは、なにも昔からあったわけではなく近代産業社会が作り出したものでしかない。
人間中心主義(ヒューマニズム)のまやかしを暴いたのは、ゲイでもあったフランスの哲学者ミシェル・フーコーである。
『監獄の誕生』のなかでこのパノプティコンという装置が権力の自動化を生み少数の者が多数を監視・管理するという近代社会を構築したと言及している。
さらに、この原理は工場や学校・病院・軍隊において人間の身体や考え方を規格化しただけではなく精神医学や児童心理学などの学問まで生み出したと述べている。
そうしてみると、学校が監獄に似ており、監獄が病院や学校と似ているのは基本的にその装置を機能させている原理が同じものだからである。
一方で情報を効率よく得ることにより比較が容易になり、異常や例外を監視し、最適を決定するこの原理は今日、都市生活者の作法を成立させているのも事実である。例えば、スーパーマーケット(G.M.S)でのセルフサービスなどはまさしくこの原理がベースになっている。
消費者が売り場に立ち全貌をみながら値段や鮮度、形状、デザインなどを比較検討できるポジションを獲得し商品の選別をしていく。
従来の商店街が大型小売店(G.M.S)に客を奪われ、存亡の危機に瀕しているといわて久しいが、その要因が、商品の大量仕入れによる価格や流通の回転の早さによる鮮度の確保など様々な理由が挙げられている。
しかし、実はセルフサービスというシステムによって偶然にもパノプティコン(一望監視)といういわば、神に変わって支配する快楽を消費者に持たせたことが、大型小売店(G.M.S)が支持された本当の理由ではないかと思えるのである。
追伸
取材で東北牧場に月1度伺う。
その途中青森県三沢市の商店街を通る。
その商店街の半分くらいのシャッターが下りている。
おそらく日本中の至る所でこうした風景が広がっているのだと思う。
もし商店街という人と人が語り合うことで成立する制度が耐久年数を過ぎ、セルフサービスという人と話すことの無い制度で善しとするのなら消え去ることも故なきことであろうか・・・
そして、ぼくの実家もこうした商店街の1つにある。