突然の死から3年。
友のいない3回目の12月を迎えた。
Tとは高校1年からの付き合いだったから、かれこれ三十数年になる。
高校を卒業し上京した故郷の仲間も、それぞれに地元に戻り、東京に残った数人の中にTも僕もいた。
年に一、二度、勤めの合間にTと会って酒を飲み交わした。
そして、気になった映画や本や音楽のことをとりとめもなく話した。
そんな付き合いを三十年以上もの間、してきた。
亡くなる1ヶ月ほど前、電話があり、最近職場を替えたが、その職場で少しギクシャクしていると話していた。
そして、最近外にもあまり出かけず、人と話すのも億劫だと、Tらしくない言葉が漏れた。
僕は、「いろいろあるけど、年末には、久々に会おう」と約束した。
そのTが自ら命を絶った。
3年の月日は経ったが、いまだに僕のなかでTの死を了解し得ていない。
いやむしろ、黒くどろりとした、沈殿物が3年前より深く、そして徐々に増してきているようにも思える。
なぜ、Tは自ら命を絶たなければならなかったのか。
その答えを探しているが、見つからない。
先日、人に奨められて久々に小説を読んだ。
『暗いところで待ち合わせ』乙一著。
一人暮らしの全盲の若い女と、殺人容疑で逃亡している一人の男のお話である。
話の中盤まで二人に台詞はほとんどなく、緊張感ある情景描写が続く。
そして、最後には孤独と絶望から希望へと向かうかすかな光が見えてくる、そんな物語である。
今年ベストワンの小説だ。
このなかに、どきりとする一文があった。
引用する。
「だれかと話していると、なぜだかわからないが、自分が否定され続けているように思えてくるからだ。話をしている最中は、普通に対応できるし、まともなことを話すことができる。しかしその後で一人になると、会話の内容を思い出し、ひとつひとつの言葉を反芻してしまう。
自分の言ったことについては自己嫌悪し、相手の言葉については様々な疑問があふれる。会話の最中には気づかなかった意思や価値観のすれ違いに気づき、打ちのめされる。自分の考えや想像していたものが、周囲の人の価値観に侵食されて、破壊されていくようでもあった。だから結局のところ、世間とは無関係になって孤立しているのが、一番、穏やかな気持ちでいられる方法だった。」
Tが自らの命を絶った本当の理由は分からない。
でも、おそらく絶望と孤独がそこに向かわせたのではないか。
そして、この小説の終わりの一文。
「はたして自分のいていい場所はどこなのだろうかと、考えたこともあった。しかし必要だったのは場所ではなかった。必要だったのは、自分の存在を許す人間だった。」
あの電話のあった日、すぐ会おうと言っていれば事態は変わったのではないか。
そして、Tと酒を飲み交わしTの話をただ、うんうんと頷きながら聞いてやりたい。
合掌