秋葉原で起きた無差別の殺意。
自動車工場に働く地方出身者の手によって7名もの命が奪われ、10名が傷を負った。
ワーキングプアー、負け組、そして、孤独と怒りの増幅。
あまりに遣る瀬ない事件が続く。
実は、市場経済の行き過ぎが生んだ歪みは、負け組だけではなく、経済的には勝ち組と呼ばれる人たちにも及んでいるという。
生活ぶりをよく眺めれば、けっして幸せではない。
金はあれども、仕事に追われ、地位の保持に唯唯諾々とし彼らもまた、孤独と不安の中に居る。
漠然とした怒りと不安が日本の社会全体を覆い、勝ち組も負け組も、そのどちらもが幸せとはいえない時代を生きている。
つまり、経済格差を縮めるだけではこの問題は解決には至らないということではないか。
さらにいえば、社会学的な解明も、治安維持のための新たな警察権力の再配備でも、おそらく解決はしないであろう。
アトリエのある浜町の対岸、隅田川を挟んでかつて芭蕉が居をかまえていた庵跡がある。
時々、散歩をしながらその前を通る。
ふと、江戸の町に住んでいた人々の簡素な住まいと、シンプルだが豊饒なことばの世界がなぜ生まれたのか、と思いを馳せる。
いま、東京の街に生きる私たちより、遥かに余裕と好奇心と感情豊かに暮らしていたのではなか。
では、いまを生きる私たちはどうすれば良いのか。
それは、教育問題や経済問題といった仕組みとしての「大きな物語」を解き明かすのではなく、ひとり一人が自分の遊び、学び、結び、粋を楽しむ「小さな物語」として、自らの生活を取り戻すことから始めることではないか。