第33号『自明』

自明なものは、その欠落や喪失によって姿をあらわす。

10年ほど前、日本盲人マラソン協会のメンバーになった。
とりわけボランティアに興味があったわけではないがトレーニングの一環で、かつ自分の好きなものならお手伝いも悪くないなと軽い気持ちから参加した。
毎年いくつか恒例のマラソン大会があり、道路整備や会場準備などをしていた。
ある時、厚木基地で開催されたマラソン大会で茨城から参加のTさんの伴走をした。
走り始めてまもなくTさんの走力に驚く、速い。
事前に選手と伴走者のタイムを登録し、大会本部はそれぞれ見合う走力の者をマッチングするのだが、どうも間違えて組み合わせたのであろう。
Tさんにたずねると(伴走の仕事はたえず周りの風景や状況をしゃべり続け伝えることである)なんと学生時代早稲田大学の競争部(陸上部)に在籍していたとのこと、5歳ほど年上だったがなるほど速いはずである。
情けない話しであるが、そこからはほとんど引きずられるようにして10キロの道程を走った。
Tさんは30歳を過ぎてから交通事故に遭われ失明したという。
普段は鍼灸師の仕事をし、マラソンのトレーニングは自宅近くの川の堤防の壁を杖で触りながら走るのだという。
視力を失ったのが大人になってからというのはいつも何かにぶつかるのではないかという恐怖があると話してもくれた。

いままで見えていたひかりと風景が突然失われる。
視力を喪失した人が、視覚を別の器官によって代行しようとするときに感じる困難はどれほどのものであろうか。

小雨の降る中、厚木基地の兵舎の並んでいるコースを曲がると広大な滑走路がマラソンコースになっていた。
そのことを伝えるとTさんはぼくと握っていた短いロープを離しスピードをおとし両手を広げ、ゆっくりと舞うように走っていく。
見ているとあまりに気持ちよさそうだったのでぼくも目を閉じ両手を広げ走ってみた。

Tさんに聞いた。なぜ走るのかと。
「そりゃ自由になれるからだよ」と答えてくれた。
そのためには多少のリスクはあるけど、大胆になることで恐怖を力と知恵に変えられるという。

Tさんは恐怖を乗り越え、自由というひかりを手に入れた。
さて、自分は・・・

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