先週末、埼玉近代美術館で開催している「アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」を観に行った。
昨年、91歳で亡くなったこの画家の作品に初めて出会ったのは、竹橋にある国立近代美術館だった。
1974年の春、大学4年の時で、油彩を専攻していた友人Hに誘われて行った。
当時アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインなど、アメリカンポップアートが全盛のころだった。
キラキラとしていたポップアートの作品群に比べれば、なんとも地味な印象でしかなかった。
1997年の秋、初めてニューヨークへ出張した。
4泊5日、毎日、宿泊先のホテルと5番街にある会社との往復以外、ほとんど外に出ることもないほど詰めに詰めたスケジュールで、慌ただしい滞在だった。
最終日、思いのほか早く打合せが終わり、半日、自由時間を貰えた。
どこに出かけるかと暫し思案し、MoMA(ニューヨーク近代美術館)へ行くことにした。
入館して最初に出迎えてくれたのが、モネの「睡蓮」。
そして、ジャクソン・ポロックの巨大な作品に神懸かりなエネルギーを感じた。
しばらく館内を巡り、1枚の絵の前で足が止まった。
大草原の中に、淡いピンクのワンピースを着た女性が描かれている。
どうしたんだろうか。
髪が少し乱れ、細い腕と足が目に止まる。
丘にある家を目指しているようだ。
寂寥ではあるが、非力ではない。
この絵がワイエスの「クリスティーナの世界」だった。
20年以上前に観た時は、ほとんど何も感じなかったのに、この絵を前にして、なにか厳かな気分にさえなっている自分に気付いた。
後で知ったことであるが、彼女は小児麻痺が原因で歩くこともままならず、這って自分の家に向っているところを描いたものである。
クリスティーナはアメリカ最北端、メーン州の漁村・クーシングで生まれ、ここで弟と一生を過ごした。
9月には霜が降りるこの寒冷地でストーブに薪を焼べ、料理を作ることだけが仕事であった。
それでも小さなことに喜びを感じ、たくましく、そしてつつましく生きた。
このオルソン姉弟と彼らが暮らすオルソン家、その周囲3キロにも満たない場所に点在するモノたちを30年間余に渡り、微細に、そして膨大な数のスケッチと水彩画、テンペラ画を描き続けた画家。
それがアンドリュー・ワイエスだった。
神と真実は細部に宿る。
人は孤独の中にあっても、尊厳をしっかりと持ちながら生きれば、怖いものなど何も無い。
画家はその普遍を見極めようと描き続けたに違いない。
「アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」は埼玉近代美術館にて12月12日(日)まで開催
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