先日、父の卒寿を祝うため、親族が横浜中華街「萬珍楼」に集まった。
父は、1921年(大正10年)10月1日生まれ。
時計修理職人として、つい最近まで仕事を続けていた。
戦前、郷里の津軽で小さな店を持つことを夢みながら、銀座の時計店で修行した。
しかし、20歳で徴兵。
戦争中は、満州で大砲の照準器を修理する技術兵として従軍。
終戦したにも関わらず、黒龍江を越えて押し寄せてきたロシア軍の捕虜となり、極寒のシベリアに3年間抑留された。
1941年から1945年の間が第二次世界大戦である。
20歳で徴兵され、抑留から解放された27歳まで、父の青春は戦争に奪われた。
父は、そのころのことはあまり多く語らない。
でも1つ、僕が小学校2〜3年のころの想い出がある。
銭湯で父の背中を流している時のことだ。
背骨のすぐ右脇に、数ミリの窪みがあることに気が付いた。
これまで、何回も父の背中を洗い流していたのに、なぜ気が付かなかったのだろうと思いながら、何かと尋ねた。
父は、事も無げに言った。
「満州でロシア軍の拳銃で撃たれた跡だ」と。
そして、「まだ、銃弾が残っている」とも。
あと、僅かにずれていたら脊髄に当たり、命は亡かっただろう。
数年後、銃弾を除去する手術をした。
そして、その礫のような、小さな黒い塊を見せてもらった。
1947年、シベリア抑留を解かれ舞鶴港に降り立った。
そして、津軽に戻り、小さな店舗を借り時計店を始めた。
朝早くから夜遅くまで、休みもほとんどなく、小さな店の、小さな作業台で、小さな時計を分解し、修理し、組立てる日々。
子供のころ、何がおもしろくて、あんな細かい仕事をやっているのだろうと、思ったこともあった。
でも、いまなら僕にも、はっきりとわかる。
それは、幾つもの奇跡とも思える幸運が重なり、ようやく、父がやりたくてやりたくて仕方がなかったことに辿り着けたのだと。
好きな仕事をやれることが、なによりも一番幸せなことだ。
父の命と、そこから生まれた僕たちは、いまを生きていることに感謝したい。
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やはり皆さん、よく飲んでいますね。(みんなで渡れば怖くない的に!?)
少し僕も安心しました。(笑)