第453号『予兆』

【赤い実】
【赤い実】

横浜にアトリエを移して早、一年。
めっきり外食が減った。
ほとんどアトリエで飯を作り、食べる。
だから、近所の八百屋や魚屋、スーパーで食材を買う。
寒さも一段と厳しくなり、鍋物を作る機会が多くなった。
そして、最近、気になることがある。

アトリエに引っ越したのも冬だったので、よく鍋物をした。
その時の記憶だから、確たる証拠があるわけではないが、なんとなくネギも白菜も肉も、その他具材も、値段はあまり変わらないが、量が少なくなったような気がするのだ。
いや、確かに少なくなった。

原因は、震災後、生産し供給するエリアと人が減ったからなのか?
それとも、流通になにか変化が起こっているからなのか?
さらに、先日、食の異変を象徴するようなニュースがあった。

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食品大手の明治は6日、生後9カ月以降の乳児向け粉ミルク「明治ステップ」から、1キロあたり最大30.8ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。
乳製品の国の暫定規制値である1キロあたり200ベクレルは下回っているが、明治は新たな商品と無償交換する。
(Asahi.com 2011.12.06)
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もとより、この国で、しかも、東北・関東エリアで生きて行く限り、まったく震災後の影響を受けずにいることは不可能である。
ともあれ、いつも釈然としない気分で、食材を選び、買い物かごに入れている。

口にするのも憚れるが、莫とした不安を感じる。
これは、戦後、私たちが経験したことのない、困難な時代の幕が開けたということなのだろうか。

1992年、辺見庸は、『もの食う人びと』執筆のための旅立ちにあって、その心境を語っている。
序文の一節である。

「私はある予兆を感じるともなく感じている。
未来永劫不変とも思われた日本の飽食状況に浮かんでは消える、灰色の、まだ曖昧で小さな影。
それが、いつか遠い先に、ひょっとしたら「飢餓」という、不吉な輪郭を取って黒ずみ広がっていくかもしれない予兆だ。
たらふく食えたのが、食えなくなる逆説、しっぺ返し。
いま、そのかすかな気配はないだろうか。
途方もない悲観にすぎないかどうか。
確かめようもなく、ただ曖昧な灰色の影を胸に帯びて、
私はこの国をあとにする。」

どうやら、その予兆が現実のものとして、ヒタヒタと足下に押し寄せてきている。

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なんだかほっとしました。そして嬉しい気分になりました。

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