さそうあきらの『神童』は主人公である天才少女、成瀬うたのピアニストとしてのデビューから、世界の頂点を極め、メニエール病によって聴力を失い、そして再びピアニストとして復活するに至るまでの音をめぐる愛の物語である。
そしてまた、この物語は「自然のままの音は後から見出される理念」でしかないことを示唆した漫画でもある。4巻目の第46話「うたのうた」で聴力を失った成瀬うたの復帰コンサートに登場した主人公は舞台に「裸足」で登場する。
ピアノの椅子は、聴力を失った主人公が自らの身体に伝わる音を感じながら「自らも楽器の一部」となるために、そしてより美しく音を導き出すために「一本の樫の木から削りだした特注の椅子」が使われていた。
こうした「自然」との関係を強く感じさせるシーンの積み重ねで構成されている。
人間は裸で生まれてくる。
しかし、誰もそのことを意識はしない。
そのことの重大さに気づくのは、言葉や、動作、表情、仕草など社会が要求するものを身に着けた後である。
なぜなら、人はほとんど生まれてきたその時から強力な『意味』の場=解読される世界に放り込まれる。
言葉によって、動作によって、表情によって、仕草によって自らの所作を意味の囚われものにしている。
そしてその『意味』の場=解読される世界からいかに自由になるかを模索する。
聴力を失ったことで主人公うたが手にすることができたのはすべての既存の音からの開放である。
言い換えるならば、手垢にまみれた『意味』からの逸脱である。
いまや、大方の人にとって音楽は農耕や遊牧の労働のためのものではなく、まして宗教儀式のためのものでもない。
いうなれば近代産業以降の生産と消費のなかで都市生活者にとっての欲望と理念の映し鏡として立ち現れる。
危険のはらまない欲望と理念に力はない。
だから、偶然ではなくビートルズはイギリスの工業都市リバプールから誕生したのである。
漫画『神童』は未知の音の世界=理想の音へのひろがりが姿をあらわし始めたところで物語はひとまず終わる。
しかし、実際のところ未知の音の世界=理想の音に、いまだ出会えてはいない。