毎週月曜日の朝、アトリエには男女あわせて7人のメンバーが集まる。
「fun meeting」と名付けている会議に全員参加するためである。
ここで、今週の業務進行や営業進捗などの確認をする。
そして小さなアトリエの、1つしかないトイレは大にぎわいとなる。
このトイレの使い方にはルールがある。
男子は小であっても、座ってすませること。
埃や汚れが気になったら、気になった人が拭きとること。
トイレットペーパーは、袋に入れたまま置いておかず、きちんと並べること。
トイレはその組織を映す鏡とも言える。
トイレが汚れていても平気な組織は、自分たちの仕事を大切にしているとは
思えない。
少し大げさに言えば、生きている場に無関心な、不幸な人の集団である。
誰かが掃除してくれればと、思う時こそ、自分からすすんで動き掃除をする。
そうすれば、いつもキレイに保つことができる。
つねづね思うことだが、自分だけが得するように振る舞う人は、そうした
行動は自分だけの専売特許のようなものであれば良いと思っている。
なぜならば、他の人にも利己的な振る舞いをされると、自分の利益が目減り
するからだ。
つまり、「自分のように振る舞う人が少なければ少ないほど自分は得する」
と考える。
別な言い方をすれば、「自分のような人はこの世界にできるだけ存在しない
ほうがいい」ということである。
汚しても平気、後は誰かが掃除してくれればいいと考えるような人(たとえ
どんなに優秀であったとしても)と仕事やごはんを食べることは難しい。
「他人と折り合いをつけることのできる仲間」とだったら、とても快適であり
居心地も良い。
一人一人が、自らすすんでこうした考えで行動することでしか、組織は成立
しえない。
古来より、これを倫理と呼んできたのだ。