津軽の夏祭りが始まると、TVニュースで流れた。
そして、聞き慣れた祭り囃子と太鼓の音色も聴こえてきた。
匂いもそうだが、音も普段眠っている記憶を呼び起こす。
幼いころ、この季節になると父、母、弟と一家4人で祭りに出かけた。
そして、最後はいつもの蕎麦屋で食事をした。
注文した品々がでてくるまで、安心して父と母に抱かれ、弟とふざけ合った。
ささやかだけれど、満たされていた。
父が亡くなり一年経つ。
桜の開花にはまだ早い4月初め、菩提寺のある弘前に帰省した。
13年前に弟が脳腫瘍で亡くなり、8年前には母が、そして父が去り、家族は
誰もいなくなった。
これで、もうここには帰ることもないかもしれない。
ふと、そんな気持ちになった。
せめて、ボクとボクの家族が生きていた風景を記憶のかなにだけでも、とど
めておきたかった。
滞在中、街を彷徨った。
鍛冶町にある喫茶店、土手町の書店、富田町の蕎麦屋、紺屋町にあった映画
館跡、五十石町の路地、そしていまは跡形もない家の周りを。
室生犀星 のうたが口をついて出た。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
もうすぐ、ふるさとでは祭りが始まる。