【横浜ベイスターズの硬式球】
ファンサイトでは、毎週月曜日の朝、横浜のアトリエに全員が集まる。
業務の流れや、事務報告などを共有するためである。
このミーテイング前に掃除をする。
制作室はもちろん、玄関、台所、トイレと、かなり丁寧に履き拭き、そして磨く。
こうして、自分たちの仕事場を綺麗にすることから始める。
この習いは、時計職人だった父が、住み込みの弟子たちと毎朝、仕事場を埃も塵も履き
磨き清めるている姿を見て、育ったことにあるのかもしれない。
その、あまりに真剣な掃除をする姿に、時計という精密機器を扱うに相応しい綺麗な場
というだけではない、なにかまるで武術の道場のような気迫さえ感じた。
どうやら僕たちは、ものを磨いたり、部屋を掃除するという行為に、綺麗にするという
目的を達成するための手段だけにとどまらず、心の錆や、埃をも取り去るための精神的
な所作のようなものも含んでいるように感じる。
例えば、アメリカでの野球観戦と日本でのそれの違いで、特に気になったのは試合終了
時の足元である。
ドジャースであれ、アナハイムのボールパークであれ、ピーナツの殻の山、そして紙く
ずの散乱。
(プロバスケットボール、レーカーズのホーム ステープルセンターでも同じであった)
それに比べ、日本の球場での試合後の綺麗さといったらない。
それは、野球道とベースベールの違いといったら、こじつけに過ぎるだろうか。
掃除や手入れを単に綺麗にする、といった目的だけに留まらない日本と、そうではない
国の文化の違いを感じた。
では、その一番の違いはなにか?
それは、ゴールをどう捉えるか、ということではないか。
到達する目標(勝利や絶対真理)があり、そこに到達したらゴールとすることが欧米の
文化だと。
そうだとするならば、到達する目標と、掃除することや手入れをすることの間には、な
んの因果関係もないし、無駄でさえある。
だから、彼らはできるだけ分業化しクリーニングとして外注する。
でも僕たちは、それを無駄とは捉えない。
なぜなら、掃除という所作を通して日常のなかでゴミを払い、埃りを拭き、同時に心の
錆を磨き、心を清め、自らが成長するための行いでもあるからだ。