仕事部屋に写真を数枚飾っている。
その中にかつて職場の同僚で、友人だった牛腸茂雄さんの作品がある。
グラウンドに走り去っていく子供達の後姿を写したもので、写真集「SELF AND OTEHERS」のなかの1点である。
たしか1977年の夏だったと記憶している。 牛腸さんの初めての個展が、ミノルタフォトスペースで行われることになり、個展用のポスター制作のお手伝いをしたお礼にいただいたものである。
その写真を先日、国立近代美術館で開催されている「牛腸茂雄展−A Retrospective」(7月21日まで開催)で見た。
http://www.momat.go.jp/gocho/gocho.html
会場には仕事部屋で毎日、見るともなく見ている作品が展示されていた。
見慣れた作品を目の前にして、なんだかちょっと照れくさい気分で眺めた。(みょうな表現ですがそんな気分でした)
ところが、なにか感じが違う。
なにがどう違うのか判然としないまま、しばらくその作品の前で佇んでいた。
そして、もう一回会場に展示されている作品群を見直してみた。
92年に雑誌「デジャヴュ」で牛腸茂雄の特集が組まれて以来、さまざまなメディアで紹介され、昨年はユーロスペースで佐藤真監督によるドキュメント映画「SELF AND OT EHERS」も上映され、異例の興行収益だったと聞く。
・胸椎カリエスによって36歳で早世した天才写真家。
・桑沢デザイン研究所での恩師、大辻清司との運命的な出会い。
・肉体的なハンディキャップにより、むしろ自己を表現する欲望から開放され、他者を観察することによって自己の存在を知覚するという循環にアイデンティティーを見出すことになった写真家。
牛腸の写真は、その作り手の意図のなかで支配され作品化されたものでもなければ、写し出された素材のあり方を軸に作品にしたものでもなく、いわばそのどちらでもないところに浮遊する。と
こうした見方が牛腸茂雄の作品をめぐる大方の解読の仕方であり、ぼくの頭の中でもそんな解説が駆け巡っていた。
そうして、一人の友人である牛腸さんの写真ではなく、写真家牛腸茂雄の作品が目の前に展示されていた。
それは、ぼくだけが了解している牛腸さんではなく、一般論として解読しうる牛腸茂雄である。
まるで定冠詞theと不定冠詞aの違いのように。
牛腸さんと、当時、目白にあったぼくの版画工房で汗を拭き、冗談を言い合い、笑いながらシルクスクリーン用のインキにまみれ100枚ほど個展のためのポスターを刷った。
だから仕事部屋に飾られた牛腸さんの写真は、いまもあのインキの臭いとともに忘れることのできない「青春」そのものである。
1977年、夏。
ぼくはあの時、たしかに牛腸茂雄と一瞬の夏を過ごした。