われわれ人間は朝起きた直後、特に意識しないと、通常少しネガティブになるよう設定されているという。
それは身を守るための防衛本能が働くからだ、と聞いた。
だから「おはよう」「いただきます」「いってきます」は、ネガティブな状態を元気でポジティブな方向に修正することばである。
そういえば、思いあたるふしがある。
朝、食事も取らず重い足取りで勤め先に向かい、その気分が時間を追う毎に増大し、愚痴と不満と不安を焼き鳥屋の安酒で麻痺させ、一日を終える。
そして、自分にできないことや、やりたくないとを隠蔽するために、無意識であれ意識的にであれ浅薄な知識を開陳し、他人を批判することで、自己存在を守ることに必死になったことがこれまで度々あった。
例えば、解決すべき問題が難しくて、あるいは大き過ぎて自分には手に負えないと泣き言をいう。
それは「できない」「やりたくない」と思うと失敗という名の恐怖が、頭をもたげるからだ。
新しいことを始めれば当然、失敗は付き物であるのに、だ。
こうして人は、ともすれば問題を大小、難易でとらえる。
しかし、実際には「やりたい」ことと「やりたくない」ことのどちらかしかない。
したがって本来、大小、難易で考えることは意味をなさない。
つまり「やりたくない」と判断したしたものは、どんな策を講じようが「やりたくない」のだから考える必要はない。
「やりたい」と判断したなら「やりたい」ことの中で「やるべきこと」をやればいい。
「やるべきこと」をやるとスッキリする。
こうして「やりたいこと」を通し、「やりたくない」ことの中にも「やりたい」ことを発見することができる。
そして、ほんの少し勇気をだしてそれをやってみる。
すると、不思議なことにもう少しやりたくなる。
「できない」理由も「やれない」言い訳もいくらでも見つけられる。
でも、「やれる」と信じ、「やれる」部分の可能性を掘り下げ、広げ、日々積み重ねていけばいつか「やれた」自分と出会うことができる。
うん、やっぱり「上を向いて歩こう」と決めた。
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次回、ファンサイト通信74号は10月3日(金)です。