第832号『「普通」という「特別」』

【秋の気配】

昨日の夕方、秋の気配のようなものを感じた。
きっと空に浮かぶ雲を、夕日が茜色に染めていた
からだろう。

ふと、(小学校に入る前だったから4,5歳のこ
ろだと思うが)父と眺めた夕焼けを思い出した。
それは岩木川の背景に屏風絵のように立つ岩木山
に、秋の夕日が沈んでいく、まるで映画のワンシ
ーンのような記憶を。

父は、時計修理の職人だった。
その姿は、机にかじり付き、一心不乱に小さな時
計と格闘しているように見えた。
そんな父も、ときどき息抜きをしたくなるのだろ
う。
幼い僕を、自転車の荷台に乗せ、河原に連れて行
ってくれた。

父は、敗戦後シベリアで抑留されていた。
時計職人としての見習い修行を終え、ようやく独
り立ち(場所は叔母が開業医として暮らしていた、
横浜の金沢文庫を予定していたと聞いたことがあ
る)しようとしていた20歳の時、赤紙=召集令
状(軍隊が在郷の予備役を召集するために個人宛
に発布する令状)がきた。

そして、1945年8月の敗戦と同時に、満州で
不当にもソ連軍の捕虜となり、3年もの間、抑留
された。

軍隊に招集されて4年、さらに、捕虜として抑留
された3年。
7年もの長きにわたり、自由(20歳から26歳
まで、最も青春を謳歌できる季節を)を剥奪され
た。

ハバロフスク港から、京都舞鶴港に着岸した時、
一刻もはやく津軽に帰ることしか、頭になかった
という。
そして、父が30歳の時、(当時としては遅い)
僕が生まれた。

真面目で、口数が少ない。
そんな父が、ぽつりと言った言葉がある。
「何も変わったことがない、普通の一日がいいん
だよ」と。

おそらく、父は言葉では語れないほどの地獄を見
てきたのだと思う。
そして、だからこそ「何も変わったことがない、
普通の一日」の価値を大切にしていたのだろう。

いまなら、僕にもその「普通」の意味がわかる。

生きていること。
仕事がある喜び。
そして、友や家族がいる生活。
茜色に染まる雲を見て、秋の気配を感じることを。

そんな、なんでもない一日こそが「特別」なのだ。