【「企業ファンサイト入門」】
「まえがき」のための「助走(まえがき)」で
ある。
『企業ファンサイト入門』日刊工業新聞社刊の
企画が通った後のことだ。
さて、いよいよ書き始めなければならないとい
う段になったが、そもそも本を書くということ
事態、初めてのことである。
どこから手を付ければいいのかもわからず、部
屋をうろうろするばかりだった。
そんな僕の姿を見るに見かねたのか、妻から「
この本を書くんだよね」と手渡されたのがA4サ
イズのコピー用紙50枚を折り、輪ゴムで綴じ
ただけの束見本(想定200ページの白紙の本)。
これには、助けられた。
この束見本に、表紙・目次・各章ごとのタイト
ルや見出しを鉛筆で書いた。
すると、具体的にページ数のボリューム感や流
れが(まえがきの書き出しはどうするか、第1
章は何ページにするか等)見え、向かうべき道
筋が薄っすらと見えた。
こうして、執筆を開始して1ヶ月ほど過ぎた。
お正月休みも返上し机に向かった。
しかし、書いても書いても、先が見えてこない。
本を書くは山に登るのに似ている、と思った。
登っても登っても頂上が一向に見えてこない。
さらに、言葉の意味を自分の言葉として咀嚼で
きず、しばしば立ち止まる。
例えば、ブランドという言葉。
普段、何気なく使っているのが、実はどんな意
味で使っているのか、と考え始めたら、その先
を書くことが出来なくなってしまった。
まるで、山道を大きな岩が塞いで、通ることが
できない。
迂回するか、なんらかの方法でどけなければ進
めない。
こうして、またしても書き進めることに苦痛を
感じるようになった時のことだ。
この間、進捗状況などで何度か打ち合わせをし
ていた担当編集者の鈴木徹さん(現在、書籍部
部長)に言われた。
「川村さん、企画は通りましたが、著者が書か
なければ本にはなりません」そして、続けてこ
う言われた。
「あなたがどうしても世の中に、伝えたいとい
う強い想いがなければ、本はできません」と。
このアドバイスを貰うまで正直なところ、編集
担当者は進行管理係くらいにしか思っていなか
ったから、なんで(よく、あとがきに書かれて
いる)謝辞を述べているのか?と。
形式的なもの以外にどんな意味があるのかなと
思っていたが、あらためて編集担当者の存在の
大きさを思い知らされた。
「どうしても世の中に、伝えたいという強い想
いがなければ、本はできません」という、この
一言に衝撃を受けた。
腑に落ちた。
僕は、本気で「ファンサイト」を世の中に伝え
たいと思っているのか?
改めて、自分に自問自答してみた。
僕ひとりで書いているのではなく、これまで「
ファンサイト」を実施・運用するために沢山の
方々が関わり、応援してくれた。
クライアント、制作に関わった方々、編集担当
と多くの人たちが並走してくれているのだ。
心強かった。
そして、ここからスイッチが入り書き進めるこ
とができた。
さて、今回再び本を書くと言ってはみたが、す
でに多くの「ファン」をキーワードにしたマー
ケティング関連の本も出版されているし、今更、
僕が書くことに意味があるのか?
さらに、何かしらをアウトプットするには、そ
の10倍のインプットが必要とだと言われるが、
はたしてアウトプットするだけのインプットが
蓄積されているか?
正直なところ、どちらを向いても心配だらけで、
不安が尽きない。
そもそも、14年前『企業ファンサイト入門』を
書くきっかけとなったのは、大学時代の同級生、
菅澤義明君にそそのかされた(笑)からだ。
彼は卒業後、株式会社山本寛斎事務所に入社し、
国際部門の部門長をしていた。
その後、横尾忠則氏のイベントプロデュースや
バンタンデザイン研究所の理事長だった菊池織
部氏の秘書をしていた。
その菅澤君がひょんなことから、ファンサイト
有限会社の助っ人として一時、在籍していた時
期があった。
ある日、会社帰りに一緒に一杯やり、その酒の
席での雑談だった。
「川村、本書けよ」と突然、言い出した。
「あ、あぁ・・・」と、僕は生返事をした。
彼は続けて言った。
「考えていることと、やっていることと、会社
の名前が一緒だなんて、最高に幸運なことだぜ」。
株式会社山本寛斎事務所に居た時、寛斎さんは、
山本寛斎が社名であり、コンセプトであり、商
品だって言っていたと。
考えてみれば「味の素」も「コカ・コーラ」も
「キャタピラー」も、コンセプトがニーズその
ものであり、社名でもある。
だから、「ファンサイト」のコンセプトを書け
と発破をかけられた。
ともあれ、新作を書くスタートとして、どこか
ら始めるかと考えてみた。
かつての記憶を辿りながら、14年前どんなこ
とを考え、この本を書いたいのか。
まずは『企業ファンサイト入門』を読み返して
みることにした。
852号へつづく。