【フクロウが描かれたタイル】
「問題」とは何か?
問題とは、在りたい姿と今現在の現状との差分のことである。
在りたい姿が現状と一致していないとき、そこに解決すべき問題が生まれる。
だから、ビジネスの根幹も世の中にある問題を見つけて、それを解決することによって、なんらかの富を生み出す営みとして続けられてきた。
しかしながらここ数年、世の中は解決すべき問題がなかなか見つけられなくなっている。
振り返ってみれば戦後間もなくから90年代までは、非常にわかりやすい問題が山のようにあった。
例えば、家の中が夏は暑く冬は寒いという問題。
例えば、外の井戸場で洗濯するのは億劫でかつ、冬場は寒さで手がかじかんでものすごくつらいという問題。
例えば、いつでもどこへでも自由に移動できないという問題。
生理的な欲求不満とか、安全・安心への希求がわかりやすく示されていた。
だから、こうした問題を一つずつ解決していくことで、確実に大小様々なビジネスになった。
ところが、いま幾つかの調査検証によれば、G7などの先進国ではほぼ9割の人々は満たされている状態にあると分析されている。
物質的な満足度としては9割の人はこれ以上、モノはいらないと思っている。
だから、お客さまに「何か困っていることありませんか?」と聞いても、「とくに困ってません」と言われてしまう。
困っていること、つまり問題(ビジネスの種)である。
その種が見えにくくなっている。
問題そのものがいまや希少化している。
こうした背景もあって、いくら大きな資金を投じてキャンペーンを展開しようが、人気のある芸能人を使った刺激的なCMを流そうが、瞬間的な売上効果しか望めなくなった。
そもそも、モノはもういらないと思っているのだから。
では、問題が希少になっている世の中で問題を見出すためには、どうしたらいいのか?
それは、「本来、世の中はこうなったらいいな」という仮説を構想することではないか。
つまり、問題を作る力である。
問題が作れなければ、プロジェクトも作れない。
例えば昨今、格差の問題・環境の問題・貧困の問題が顕在化しはじめている。
こうした問題は、これまでの経済や政治の仕組みの中ではなかなか解けない。
少し前には、資本主義がさらに加速し、お金持ちがいま以上にたくさん稼ぎ使うことで解決すると言われた。
つまり、お金が噴水のように貧しいものにも上から下に流れ落ち(トリクルダウン)、やがて経済全体が良くなると。
しかし、これはまるでお伽噺だったという事例の一つである。
余談だが、2019年1月22日付「朝日新聞」デジタル版によれば、世界で最も裕福な資本家26人が、貧困層38億人(世界人口の約半分)の総資産と同額の富を独占している。
ますます、貧しき者から収奪し富める者に集積している。
そろそろ、座組そのものを変える必要があるのではないか。
みんなが金持ちになることで問題を解決するという幻想ではなく、これまでの成長神話ではない「本来、世の中はこうなったらいいな」を考え出すことではないか。
さて、ではどうやって問題を見つければいいのか。
それは、自分の半径数メートル圏内で出来事をつぶさに見て、行動することではないか。
実例をあげれば、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん。
彼女は、8歳のとき気候変動への対策がほとんどなされていないことを知り、自分ごととして受け止め身体に変調をきたした。
そして考え続け、15歳のとき居ても立ってもいられず気候変動のための行動として、学校でたった一人でストライキを始めた。
たった一人の反乱の運動が拡がり、1000万人を超える人々を動かした。
そして、その活動はいまもさらに拡がり続けている。
僕自身のことで言えば、今回のコロナ禍をきっかけにして働き方も住まいの有り様も大きく変わった。
毎日通勤しなくなり、社員も僕も神田のオフィスへは行かない仕事の仕方に変わった。
そうなったときに、新しい価値というものは「だったら本来働き方ってこうなったらいいな」とか、「街の姿はこうなったらいいんじゃないか」とか、「食事やおやつの在り方ってこんな方向になるんじゃないか」とか・・・。
自分の半径数メートル圏内での出来事を通して「世の中はこうなったらいいな」という座組そのものを、前にも増して突き詰めて考えてみるようになった。
間違いなく問題を生み出す構想力こそが、これから求められる最も重要な能力のひとつではないかと確信している。