デザインの歴史書の口絵で見たガウディの建造物を、この目で確かめたくなりバルセロナに行った。
もう30年も前のことである。
サグラダファミリア聖堂、グエル邸、グエル公園、カサ・ミラなど彼のほとんどの作品がスペイン第一の港街バルセロナにある。
あまり治安がよくないと先輩にアドバイスをもらったが、背に腹は変えられず旧市街の一角にある安宿に泊まった。
中央にプラタナスの並木と広い歩道をもつランブラス通り。
13~15世紀のゴシック様式の建造物が集まっているゴシック地区。
ピカソ美術館のあるモンタガ通りは、細い路地がまるで迷路のように張り巡らされている。
こうして、ウロウロと歩き回った。
しばらく街を徘徊しているうちにそれぞれの通りで、毎日、同じ顔ぶれの人たちを見かける。
なんとなく不思議に思い宿に帰り訪ねた。
怪訝(変な事を聞く東洋人だ)な顔で宿の主は答えた。
散歩はこの街の人たちの日課だという。
昼寝と散歩は日課であるか?
シェスタ(siesta)は昼食後にとる昼寝のことである。
そして、夕方一斉に歩き出す散歩、これをコルソ(corso)という。
事物への命名がなされている。
ということは、そうした行為が文化として定着しているということでもある。
翌日、街に出かけるとやはりゴシック地区でもランブラス通りでも昨日と同様、別段騒ぐでも無く、楽しげに、ただカツカツと靴音を響かせ、気持ち良さそうに歩ている。
もともと中世ヨーロッパから発生した都市とは、城壁に囲まれたエリアを指す。
それは宗教的な意味でも、また、形態としても「囲い地」であった。
考えてみれば前に海、後ろにモンジュイックの丘をもつバルセロナの地形も自然の城壁に囲まれたエリアである。
誤解を恐れずにいえば、都市の原形とは旧約聖書にでてくる「ノアの方舟」である。
それは、彼らの主体的なたてこもりの意志でもあった。
死を免れるための生の箱。
大洪水の水が引き、鳩がオリーブの葉をくわえ戻った時、その巨大な方舟が地面に着地し、そのまま「囲い地」となった。
生きるための生存保護の箱=ノアの方舟。
それが都市なのである。
外に向けては閉鎖し、内に向けては解放する都市。
だから、バルセロナで見かけたコルソという名の散歩は同じ「囲い地」に生きる人々にとって日々、路上で擦れ違いながらお互いに同じ場に生きる者同士として確認する重要な日課であり、内面に起こるカタルシスとヒステリーから解放されるための儀式でもあったのだ。
してみれば、私の趣味でもある街を彷徨い歩くことは、故無き事でもなかったのだ。