第97号『美しいさという規準』

3月のはじめ、ここ数年恒例にしている三浦国際市民マラソンに出た。
最近、レースに出ることが時々億劫になる。
なんのことはない、練習不足で体と走りが重いからだ。
それでも走りはじめると、やはり気持ちがいい。
左手に波頭がキラキラ光る春の海を見ながら走った。

初めて、三浦半島を巡るこのマラソンコースを走ったとき、風力発電の風車に出会った。
宮川湾からの風を受け、白い巨大な3枚のプロペラが一本の柱に支えられ優雅に回っている。
この立ち姿を見て、美しいと感じた。

今朝、新聞で原子力発電に関連する記事を読んだ。

ウランとプルトニウムの混合燃料、MOX燃料による原子力発電の開始が2007年から開始される。
そして、これに先立つ2006年には青森県六ヶ所村でのウランの再処理加工が本格的に稼働する。
電気事業連合会によれば、このプルサマール計画により国内における原子力発電の実施数を2010年までに16~18基にする方針とのことである。

フランスではじつに発電量の78%が原子力によって賄われている。
また、フィンランドは新たな原子力を作るという。
さらに、イギリスやブッシュ政権下のアメリカでも原子力発電を推進していこうとしている。

一方、ドイツ、スウェーデン、イタリアは脱原子力発電を進めている。
ドイツでは風力発電や太陽熱発電など自然エネルギーの発電量は12%を越すところまできているという。

昨年の夏、イタリアに旅した友人から聞いた話は極めて象徴的であった。
大停電が起き、数日にわたり停電が続いたがその間、別段なんのトラブルもなく過ぎたという。
むしろ、彼らは脱原子力を選択したのだからこうした事態が起こることも覚悟していたという。

現在、日本では電力の3割を電子力発電によって賄われている。(経済産業省資源エネルギー庁の資料)
それは、もはや原子力発電が是か非かという議論の余地もないまま原子力を利用しなければどうにもならないという現状でもある。

ぼくたちはこの事態をほんとうに手放しで良しとしたのか。
もっときちんとした議論が必要ではないか。

仕事で数回、青森県の三沢に出かける機会があった。
近くに六ヶ所村原子力再処理場がある。
まるで巨大な軍事要塞。
なんだか、どうにも絵にならない風景だなと思った。

重い体で走った三浦マラソン、その途中でみた風車。
海に向かって白い大きなプロペラが回る。
絵になる風景だ。

なぜ六ヶ所村の再処理場を醜く感じ、三浦半島の風力発電の風車を美しいと感じたのか。

ともあれ、時折こうしてエネルギーという目に見えないが根源的なテーマが突きつけられる。
それは、喉に刺さった棘のようでもあるが、事実はそれよりはるかに大きく深刻である。
そして、規準も覚悟もないまま現状が推移していく。

ならば、自分はどんな規準でこのテーマと向き合うのか。

美しさという規準でエネルギーを捉えてみる。

効率化や温暖化防止の規準のほかに景観という判断基準も必要ではないか。
海岸線に沿って各地に白い優麗な立ち姿の風車が並ぶ。
そんな風景を見ながら軽やかに走りたいと思った。

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