第977号『映画「ラーゲリより愛を込めて」』

弊社の得意先で、新潟県長岡市に本社がある岩塚製菓株式会社のファンサイト「大人のぽりぽりクラブ」では、映画『ラーゲリより愛を込めて』(瀬々敬久監督、二宮和也主演)の12月9日公開を記念し、特別なコラボキャンペーンを展開している。この映画のロケ地の1つが新潟ということもあり、ご縁をいただき今回のキャンペーンへとつながった。

瀬々監督はこれまでに『菊とギロチン』、『護られなかった者たちへ』など社会派の作品を数多く手がけてきた。そして今作は、作家の辺見じゅん氏のノンフィクション小説『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』をもとにメガホンをとったものである。終戦と軌を一にして、満州に攻め入ったソ連軍の捕虜となりその後、過酷な運命のなかで過ごした人々の姿を映し出した作品である。

実は僕の父も、敗戦後シベリアで抑留されていた。時計職人として東京銀座での見習い修行を終え、野心を懐きようやく独り立ち(場所は叔母が開業医として暮らしていた、横浜の金沢文庫を予定していた)しようとしていた。

20歳の時、召集令状の赤い紙切れがきた。そして、1945年8月の敗戦と同時に、満州で不当にもソ連軍の捕虜となり、3年もの間、極寒の地に抑留された。軍隊に招集されて4年、さらに捕虜として抑留された3年。7年もの長きにわたり、自由(20歳から26歳まで、最も青春を謳歌できる季節を)を剥奪された。

ある日、父の仕事場の後ろの棚の上に、ビニール袋に入った2本のタバコが置かれていた。よく見ると、菊の紋章が印刷されている。酒もタバコをやらない父だから、なんだろうと思い聞いてみた。父は「天皇陛下からいただいた」とさらりと言った。続けて「日本国の兵士としてシベリアに抑留され、その苦役に対する労いの印として贈られたものだ」と、そして黙した。おそらく、父は言葉では語れないほどの地獄を見てきたのだと思う。その、国家からの報いが菊の御紋の入ったタバコ2本。

抑留から開放され、命からがらハバロフスク港から京都舞鶴港に着岸した時、野心も何もかもかなぐり捨て、一刻もはやく故郷津軽に帰ることしか頭になかったという。そして、父が30歳の時、僕が生まれた。戦後復興の波に乗ることもなく、父は小さな時計商を営み僕を育ててくれた。日々、取るに足らない(時計修理という)仕事を懸命にやっていた。それは、好きとか嫌いではなく、働くことと生きることが同義だったからだろう。

真面目で、口数が少ない。そんな父だけれど、こんな言葉が僕の記憶に残っている。「国家は嘘をつく」と。戦争に敗れ、父をはじめ多くの人たちも、国家を信じることができなくなっていたと思う。それでも、故郷と周囲の仲間や時計の修理を依頼してくれたお客様のために、いま自分ができる小さなことを必死に引き受けてきたのだ。

同じようなことを、満州からの引き揚げ体験をもつ作詞家で作家の、なかにし礼も次のように語っている。「戦争には表と裏があるんだよ」「国家はね、いざとなるとどんな残酷なことでもする。嘘もつくし、国民を犠牲にすることを忘れてはなりません」「命からがらたどり着いた祖国日本では、『満州、満州!』と蔑まれ、『お前たちに食わせる米はない』と小突かれる、つらい差別にもさらされた」「国に恨みもある。翻弄され苦しめられた。しかし、その国に拾われ、育てられ、今日があるわけで、国に対する愛情はあります。しかし、政府は国とは違う。政府は、国家を運営する一つの機関だ。政府を愛することはない。間違った運営をする政府には異を唱えますよ」と。

お客様とのやり取りが粗末になることを、父はとても嫌った。戦後焼け跡から復興した日本を支えていたのは、こうした人たちの地道な、そして頑ななまでに人と人との信頼を裏切らない心根があったからだと思う。

試写会で観たこの映画『ラーゲリより愛を込めて』でも、日本人としての矜持や仲間との絆、そしてなによりも希望を失わないことの大切さを感じさせてくれる佳作であった。ぜひ劇場でご覧いただければと思う。もちろん、キャンペーンへもどしどしご応募ください。

2件のフィードバック

  1. 平和祈念展示資料館の橋場と申します。「ラーゲリより愛を込めて」は実話をもとに作られています。山本幡男氏のシベリアから送られてきた俘虜郵便が展示されています。

    1. 橋場様、コメントありがとうございます。
      平和祈念展示資料館に一度足を運ばなければと思いながらそのままになっています。
      1度は伺わなければ。

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