井上荒野さんの『あちらにいる鬼』を読み終わった翌日、瀬戸内寂聴さんが亡くなった。
あまりのタイミングに少し、驚いた。
井上荒野(あれの)、という名前にひかれて手にとった最初の文庫本は『ベーコン』だったか・・・。
定かではないが、十数年前のことである。
読みすすめると、冗長的ではない語彙のセンス、紋切り型を許さない心意気、矜持ある清潔感のようなものを感じる文体が心地よかった。
それで、何冊か彼女の作品を読んてきた。
調べると、父は作家の故井上光晴である。
井上が、友人から子供の名前をと頼まれ、出したのが「荒野」。
しかし、「荒野(あれの)」というあまりの命名にその友人は血相を変え拒否した。
しかたなく、光晴は我が娘にその名を冠したという。
この文庫本『あちらにいる鬼』の帯には瀬戸内寂聴さんの文が寄せられている。
”作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。”
父と母、そして瀬戸内寂聴をモデルに交差する3人の関係を、長女である荒野が描いた作品である。
余談である。
ずいぶんと古い話になるが、自宅で井上光晴の自伝的ドキュメンタリー映画『全身小説家』原一男監督作品(1994年)を観た。
原監督の『ゆきゆきて、神軍』(1987年)が話題になっていて、それと一緒にレンタルビデオで借りた。
『全身小説家』は井上が直腸癌に侵されながらも、日々の姿を追ったものである。
そのワンシーンでのこと、ある日、井上光晴邸を瀬戸内寂聴が医師を同行し訪れる。
あれ、と思った。
井上にプロポリスを差し出し、なにやら効用を語るその医師に見覚えがある。
なんと高校時代の友人、Y君の兄貴だった。
なんだか無性に愉快な気分になった。
こうして、井上光晴という稀有な作家の存在をしり、彼の作品も何冊か手にとってみた。
通常は気にも掛けないような、いわばどうでもいい事柄の点と点が繋がり、好きになった作家の作品『あちらにいる鬼』を読み終わった翌日、瀬戸内寂聴さんが亡くなるという、あまりのタイミングに驚いたのである。
この小説が映画化されるという。
まだ、監督もキャステングも決まっていないようである。
この作品を編むことができる力量をもつ監督は・・・。
井上光晴、その妻、そして瀬戸内寂聴を演ずることができる役者は・・・。
おそらく、監督も役者も決まるまでには相当に難渋することだろう。
そうしたことを含め、予想するのも観る側の楽しみである。
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