第931号『あちらにいる鬼』

井上荒野さんの『あちらにいる鬼』を読み終わった翌日、瀬戸内寂聴さんが亡くなった。

あまりのタイミングに少し、驚いた。

井上荒野(あれの)、という名前にひかれて手にとった最初の文庫本は『ベーコン』だったか・・・。

定かではないが、十数年前のことである。

読みすすめると、冗長的ではない語彙のセンス、紋切り型を許さない心意気、矜持ある清潔感のようなものを感じる文体が心地よかった。

それで、何冊か彼女の作品を読んてきた。

調べると、父は作家の故井上光晴である。

井上が、友人から子供の名前をと頼まれ、出したのが「荒野」。

しかし、「荒野(あれの)」というあまりの命名にその友人は血相を変え拒否した。

しかたなく、光晴は我が娘にその名を冠したという。

この文庫本『あちらにいる鬼』の帯には瀬戸内寂聴さんの文が寄せられている。

”作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。”

父と母、そして瀬戸内寂聴をモデルに交差する3人の関係を、長女である荒野が描いた作品である。

余談である。

ずいぶんと古い話になるが、自宅で井上光晴の自伝的ドキュメンタリー映画『全身小説家』原一男監督作品(1994年)を観た。

原監督の『ゆきゆきて、神軍』(1987年)が話題になっていて、それと一緒にレンタルビデオで借りた。

『全身小説家』は井上が直腸癌に侵されながらも、日々の姿を追ったものである。

そのワンシーンでのこと、ある日、井上光晴邸を瀬戸内寂聴が医師を同行し訪れる。

あれ、と思った。

井上にプロポリスを差し出し、なにやら効用を語るその医師に見覚えがある。

なんと高校時代の友人、Y君の兄貴だった。

なんだか無性に愉快な気分になった。

こうして、井上光晴という稀有な作家の存在をしり、彼の作品も何冊か手にとってみた。

通常は気にも掛けないような、いわばどうでもいい事柄の点と点が繋がり、好きになった作家の作品『あちらにいる鬼』を読み終わった翌日、瀬戸内寂聴さんが亡くなるという、あまりのタイミングに驚いたのである。

この小説が映画化されるという。

まだ、監督もキャステングも決まっていないようである。

この作品を編むことができる力量をもつ監督は・・・。

井上光晴、その妻、そして瀬戸内寂聴を演ずることができる役者は・・・。

おそらく、監督も役者も決まるまでには相当に難渋することだろう。

そうしたことを含め、予想するのも観る側の楽しみである。

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