自宅から二駅ほど離れたところに、お気に入りの食器店があり、時々ふらりと出かける。
目的は、料理好きな妻の手料理を盛るための器や、僕の湯呑茶碗、お猪口などを探すためだ。
小ぶりではあるが、手入れが行き届いた店舗に高価ではないが、店主がきちんと選んだであろう普段遣いの品々が並んでいる。
静かにそっと手に取り、器たちを見て触り撫でてみる。
そうして、お家に連れて帰る器が見つかったときなどは格別に嬉しくなる。
会計してもらう時、お店のご主人が言われる言葉がある。
「本日のお見立ては、〇〇円でごさいます」と。
見立てるは「見て選び定めること」という古くからある言い回しである。
確かに、器というモノを手にしてはいるが、それは見立てた人の想いの時間も含めた価値でもある。
とてつもなく楽しく豊かな時間である。
毎回、選んだ自分が肯定されたように感じ、素敵な言葉だなと思う。
先日、倅から新刊本が送られてきた。
『おしゃべりな部屋』川村元気・近藤麻理恵著 中央公論新社版。
2020年10月から21年4月まで、読売新聞で連載されたものを単行本化したものである。
近藤麻理恵(コンマリ)さんは、片づけというジャンルで大きな成功を収め、2015年には米国『TIME』誌で「世界でもっとも影響力のある100人」にも選出された。
そのコンマリさんが片づけてきた1000以上の部屋にまつわる実話を基に、川村元気が7つの部屋の物語を紡いでいる。
気鋭の絵本作家・大桃洋祐さんのカラーイラストとも相まって、リアルだけどファンタジーな絵本のようにも楽しめた。
印象に残った言葉がある。
それは4つ目の部屋でのお話である。
この部屋でのお話は、子供になんでも買い与えてきた母とその娘のエピソードが描かれている。
そして、主人公ミコ(コンマリ)さんの一言がいい。
”ときめきの基準がまだはっきりしていない子供に親が自分の選んだものばかりあげていると、ときめきでモノを選ぶ力がどうしても育ちにくくなってしまう。”と。
ふと、僕自身の小学校入学式前日のことを思い出した。
母が、近所にあった瀬戸物屋さんに連れて行ってくれた。
そして「もうお兄ちゃんになったんだから、自分の好きなご飯茶碗を選んでいいよ」と言ってくれた。
なんだか母に認めてもらったような気分になり、とても嬉しくなった。
そして、紺色と朱色で鯉の絵が描かれた茶碗を選んだ。
ビビッと(ときめき)、その茶碗から信号のようなものがきたのだ。
茶碗から、”お家に連れて行って”という言葉が聞こえていたような気がする。
ともあれ、気に入って使っていたその茶碗とは、随分と長い付き合いになった。
だからなのかモノを選ぶとき、いまでも僕はビビッと(ときめき)くるかどうかを基準にしている。
自分の身の回りに置いているモノたち(食器であれ、本や雑貨や家具等など)の大方は、大して高価な品ではない。
しかし、一つ一つその時々にビビッときた(ときめきがあるかないかという基準)モノを部屋に招き入れている。
つまり、なんと言ったらいいのか、こうした取るに足らない小さな基準をしっかりと押さえていることが、僕のなかで揺るがない自信のようなものを形作っているのだ。