第965号『百花』

居間の蛍光灯がパチッと橙色の光線を放ち、スゥンと消えた。蛍光管を取り替えてみたが、点かない。本体そのものが寿命だった。そういえば、春にはドアホーンも音が出なくなり取り替えた。

モノには寿命がある。長年使っていれば、いずれ壊れる。でも、モノであれば部品を交換することも概ね可能だ。しかし、生身の人間は簡単には替えられない。

僕自身、70歳を境に奥歯を失い脊柱管狭窄症になり、最近、目に線状の印影が浮かんで見える飛蚊症も加わった。老いるとは、身体の様々な機能を不可逆的に喪失しながら消滅へと進むことだと得心した。だからこそ、生きている時間のなかでどんな風にリカバリーし、楽しく適応していくかが問われる。

さて、映画『百花』川村元気監督作品が9月9日から劇場公開される。本作は倅の初監督作品である。もともと、彼が書いた小説を映画化したものだ。実は、彼の祖母が認知症になり、この物語を紡ぐきっかけになった。

昨年の暮、酒を飲み交わしながら今作にかける倅の想いを断片的にではあるが聞いた。

認知症を発症し徐々に記憶を失っていく母と、その母に向き合うことで、封印していた過去の思い出を蘇らせていく息子との愛と和解の物語。母を原田美枝子が、息子を菅田将暉が演じている。原田自身、ご自分の母上が認知症になり、その姿を短編ドキュメンタリー作品『女優原田ヒサ子』として監督製作した。その作品を観た上で、やはり主演は彼女しかないと、キャスティングの経緯を教えてくれた。

そして、もう一つこだわったのがワンカットワンシークエンス。通常であれば、ワンシーンをいくつものカット割で編集する。しかし、今作ではワンカットで1つのシーンをまるごと撮ってしまうという手法(いわゆる長回し)を採用したと言う。二人の役者がいれば、それぞれのセリフごとにカット割りをするのではなく、お互いに一連のセリフのやり取りが済むまで終わらない。つまり、必然的にセリフの言い間違いやスタッフの動き方のミスが許されないといった緊張を強いられる。この手法を多様した監督として、例えば『台風クラブ』の相米慎二監督や、巨匠小津安二郎監督が思い浮かぶ。ワンカットワンシークエンスによって、日本映画の独特のリズムが生まれるのではないか。そんなことも話していた。

先日、倅が孫と一緒に遊びに来てくれた。コロナもあって、本当に久ぶりのことであった。昼食の後、腹ごなしに家の周りを少し散歩した。築40年を超える集合住宅群と、その間に点在する小さな公園。その公園に設置された遊具や、昔と変わらない商店街。歩きながら彼の口から「まだ、残っているんだ、懐かしいな」と・・・。彼の記憶の中にある映像や音や風が、ふと立ち現れたのかもしれない。

横浜の南の端にあるごく普通の団地だけれど、まさしくここが彼の故郷なんだなと思った。

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