10月2日日曜日、突き抜けるような青空のもと、「第15回川崎港トライアスロンin東扇島大会」に参戦した。この大会への出場ははじめてである。これまでは、地元の横浜金沢区八景島シーパラダイスで開催される「横浜シーサイドトライアスロン大会」に出ていた。しかし、コロナ第7波の広がりに抗しきれず、9月の初めに大会開催断念となった。それに変わるレースとしてエントリーした。
5月に行われた「世界トライアスロンシリーズ横浜大会」と「第15回川崎港トライアスロンin東扇島大会」の僅か2戦ではあるが、これで今シーズンのトライアスロン競技参戦を終える。ここまで、決して順風満帆な流れであったわけではない。いや、むしろ極めて険しい1年であった。そうした意味でも、今シーズンの僕のトライアスロンライフを振り返ってみたい。
5月の「世界トライアスロンシリーズ横浜大会」を終えた翌日、左腰から太腿にかけて違和感がある。さらに、ある角度で屈伸すると切り裂かれたような痛みが走る。ヒヤリと汗が滲む。この日から痛みを改善するべく、マッサージやカイロプラクティック治療、ハリ鍼灸などもやってみた。しかし、一向に良い方向には向かわなかった。こうした状態では走ることもままならず、6月にエントリーしていた「第36回NISSN CAP 神奈川トライアスロン大会」は棄権した。
痛みの根本原因が分からずに、あれこれと手を打っても仕方がない。そこで、会員として参加している横浜トライアスロン研究所の滝川コーチから紹介していただき、整形外科でしっかりと診てもらうことにした。大船にある岩田整形クリニックは、スポーツ整形外科分野を得意とし、院長も元トライアスリートである。いくつかの質問をされ、身体の様子を診た後、直ぐにレントゲンとMRIで検査された。結果は「仙骨関節障害」と「脊柱管狭窄症」。岩田先生から「仙骨関節障害」は時間はかかるが徐々に痛みはなくなる。しかし「脊柱管狭窄症」は不可逆的な疾患で、加齢が原因であり一生付き合うしかない。トライアスロンも止める方向で考えたほうがいいのでは、とのアドバイスを頂いた。
落ち込んだ。自分にとってトライアスロン競技を続けることは、これまでもこれからも人生の大切な一部である。そのトライアスロンを止めることになるとは・・・。考えたこともなかったし、心の準備も出来ていなかった。
翌日から処方された血流を促す薬を飲み、教えてもらったストレッチをした。同時に、治療を開始した時から日々の変化を記録するためのノートも作った。こうして、1週間で痛みが薄らぎ、2週間で痛みの範囲が狭くなり、3週間を過ぎたころにはほとんど痛みを忘れるほどに改善した。この間、徐々にではあるがストレッチと筋トレもし、泳ぐことも自転車を漕ぐことも、そして少しづつではあるが走る距離も伸ばした。治療開始から2ヶ月が経ち、岩田先生から長時間のレースでなければ出場しても大丈夫だろうとの言質もいただいた。嬉しかった。
こうして、レースに向けて本格的にトレーニングを再会したのが7月後半。長く続けたいから、無謀なことも無理もしない。そう決めたものの、これまでの運動量から比べたらかなり少なく感じた。焦る気持ちもあった。さらに時々、痛みと疼きを強く感じる日もある。でも、この痛みと疼きに上手く付き合っていくしかない。「だってそれでも、トライアスロンをやりたいから」。そう自分に言い聞かせた。
日々の仕事と生活の中に、いかにしてトレーニングを組み込むかは簡単なことではない。まして、スイム・バイク・ランと3つのトレーニングと基礎的な筋トレとストレッチも含めると膨大な時間を要する。それを出来る範囲でひとつひとつのパーツを組み立てるかのように実行する。この積み重ねを経て、この日レースのスタートラインに立つことができた。
だから、どうしても僕の口から伝えたいことがある。この時間をつくってくれた妻とコーチ、仲間に感謝します。そして、ご褒美までいただいた。「第15回川崎港トライアスロンin東扇島大会」スプリント70代1位。きつかったけど、最高に楽しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
2件のフィードバック
おめでとうございます。
無理はしないで・・・。
楽しく読ませて頂いています。
財満先生、ご無沙汰しております。お元気ですか?コメントありがとうございます。無理せずできるだけ長く続けたいと思っています。