第969号『「間」について思い出したこと』

朝、ふと懐かしい人のことを思い出した。そして、久々に会いたいと思った。こんなときは、躊躇なく連絡を取り、できれば会ったほうがいい。きっといま、自分にとって必要な何かを気づかせてくれるに違いない。

大学3年の時、タイポグラフィ(いまではフォントといったほうがわかり易いかもしれないが、文字の形や大きさなど印刷用活字のこと)を学びたいと思い立った。当時、市ヶ谷にあった日本エディタースクールに半年ほど席を置いた。ここで出会ったのが、故佐藤敬之助先生だった。

佐藤先生は日本タイポグラフィ協会の創設メンバーであり、桑沢デザイン研究所、武蔵野美術大学でタイポグラフィの教育にも携わり、アートディレクター浅葉克己氏の師でもある。先生は、東京帝国大学で動物学を学び、その後京都の寺で修行僧として仏の教えを学んだという、少し変わった経歴の持ち主であった。

先生と文字との出会いは、この寺での写経だった。日々写経を重ねるうちに、文字の魅力に取り憑かれたという。先生の授業はどれも興味深く面白かったが、なかでも印象に残っているのが「間」についてのお話だった。

師曰く。
「間」という文字は旧漢字では、門構えに月と書く。先生は、黒板に門と、夜空に浮かぶ月を描いた。そして「閒」とは、門の扉の隙間から漏れる獏とした月の光の様(さま)を言うのだ、と。漢字は表意文字である。掴めそうで、掴めないもの。無いけれど、有るもの。それが「間」である。

さらに、師は続けて言われた。だから「間がいい人」の行動とは、見えないものや、掴めないものに対して、閃きや直感を大切にし、絶えず自分自身と周辺にアンテナを張る人のことだ。そして、直感的に「これはやった方がいいな」とか「あの人に連絡してみよう」などの閃きを大切にし、準備し、問題が起きる前に回避できるように動くことだ。もし、なんだか上手くいかないことが続くような事態が起こる、つまり間が悪くなってきたら、自分の行動を振り返ることだとも。

悪い時も良い時も、腐らずおごらず、謙虚に、いまの自分を見つめることが肝要だと教えていただいた。師の歳に近づき、改めて「間」のもつ力を感じる日々である。

さて少しドキドキながら、懐かしき人に連絡してみようと思う。

2件のフィードバック

  1. 間のお話、実に面白く拝見しました。
    間の漢字に、門と月があったとは存じませんでした。
    「間」は、今の時代こそ、大切にしなければいかんのかも知れませんね。

    せっかくのドラマも、1.5倍速で見る人が増えているこの時代、演出の間も、どんどん価値が薄まっています。読書なんかも、「要約だけの動画」を見てわかった気になっていたり、、。
    マヌケって悪口も、間抜けですし。

    自分の「間」を振り返ってみたいと思います。ありがとうございます。
    ところで、気になった人に、お会い出来たのでしょうか?そちらのお話も、また聞かせてください。

    1. 小田切様、コメントありがとうございます。間についての話は、佐藤先生との思い出とともに、大切にしている話です。
      人ともモノとも、頃合いの良い間合いを保つことが最も難しですね。

      気になった人には早速連絡しました。
      年末には会えそうです。
      そのお話は別な機会に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です