久々の『アキレス腱断裂リハビリ日記』である。シリーズとして6回目。そして、これが最終回である。湘南鎌倉総合病院で、1月12日に手術してから9ヶ月経過したことになる。
事の始まりは1月2日、僕の誕生日。71歳になった。新年会と誕生日会を兼ね、長男家族と次男家族が集まった。お昼にお雑煮とおせちを食べた。腹ごなしに少し体を動かそうと、倅や孫たちと近所の公園でバレーボールのまねごとをして遊んでいた。そして、ボールを追いかけようとした瞬間、背後から一撃をくらったようにバチンと音がし、膝からくずれ落ちた。立ち上がろうとしたが左足首がふにゃふにゃして力が入らない。何が起こったのかも分からず呆然とした。その日は休日のため応急病院で仮処置をし、後日、湘南鎌倉総合病院で手術した。
術後、通院のため松葉杖と片足1本で公共交通機関を使って移動することが、肉体的にも精神的にもいかに困難か(例えば、駅の構内でスマホを見ながら歩いている人がぶつかってくるのではとの不安と恐怖)を思い知った。加えて、ネットで「アキレス腱断裂/完治」と調べると、完治まで最低でも5ヶ月から6ヶ月はかかると記されていた。こんな状態で半年もの間、過ごさなければならないのか・・・。さらに、高齢になると後遺症の可能性も高くなるとも。正直なところ、走るどころか歩けるようになるのかさえ分からず、不安な気持ちでいっぱいだった。思い出したくもないが、先のことを考えると気分が滅入る日々。だからこそ、この不安と恐怖を少しでも軽減するために、楽観的にものごとを捉え、日々のリハビリを続けることに専念した。とはいえ、日々のリハビリは面倒でも有り、そして痛みもともなった。
アキレス腱は足の駆動の源である脹脛と繋がるゴムベルトのようなものである。そのベルトが切れたのである。これによってつま先立ちができない、踵が上がらない。つまり、歩くことや走るためのキックがままならなくなった。月2回の整形外科受診と毎週1回のリハビリ受診を重ねた。もちろん、日々の日課としてもリハビリを続けた。やるしかないと分かっていても、時々やる気が失せ、萎えてしまう日も多々あった。だからこそ、敢えて高い目標を掲げた。自宅からも近く、以前参加したこともある大会「横浜八景島トライアスロンフェスティバル」に、8月はじめにエントリーした。
ここからは、報告も兼ねてお伝えさせていただく。トライアスロンも今シーズン終盤になり、FacebookやXには、「ゴールしました!」「最高に楽しかった!」「応援ありがとう!」等々、仲間たちの歓喜の声で溢れている。そして、僕自身も9月24日(日)快晴の下「横浜八景島トライアスロンフェスティバル」に出場し、無事完走することができた。
先週、その大会事務局から荷物が送られてきた。封筒の中身は年代別3位のメダルと粗品。レース当日、無事制限時間以内にゴールすることができた達成感と高揚感に包まれた。早く家で祝杯をあげたくて、荷物を片付け、そそくさと帰ってしまった。まさか入賞しているなど、つゆにも思わなかった。なんだか神様からのご褒美をいただいたような気分になった。この大会でメダルを手にして、怪我から復帰のレースを終えたという実感があらためて湧いてきた。そして、リハビリもようやく一段落したのだと思えるようになった。
9ヶ月におよぶリハビリを通して僕が学び得たこと。
”世界は自らが意識することでしか、見えてくるものの姿かたち(像)は浮かび上がらない。まさしく、自らが感じ信じた眼差しだけが、自らの世界を決めるということを。”
あらためて、執刀医の佐藤先生、リハビリ担当の田川先生、横浜トライアスロン研究所の滝川コーチと仲間たち、そしていつも支えてくれるさちよに感謝したい。
2023/01.10
第980号『えッという報告から』シリーズ-1
2023/03.09
第988号『アキレス腱断裂リハビリ日記』シリーズ-2
2023/05.11
第995号『続・アキレス腱断裂リハビリ日記』シリーズ-3
2023/05.18
第996号『続 続・アキレス腱断裂リハビリ日記』シリーズ-4
2023/06.29
第1002号『アキレス腱断裂リハビリ日記その4』シリーズ-5
2件のフィードバック
コメント失礼します。私も先月の10月9日にアキレス腱を断裂し手術を行いました。3週間が経過した今も本当に治るのかと不安で、アキレス腱断裂経験者のブログを辿っていたところコチラに辿り着きました。リハビリの奮闘記からトライアスロンへチャレンジする姿まで拝見し、不安な日々の中で小さな勇気を与えてもらえた気がします。ありがとうございます。
清野様、ありがとうございます。正直なところ、数ヶ月間のリハビリは本当に大変でした。清野様も先は長いので、覚悟を決めてがんばってください。これを機にファンサイト通信たまには、ご高覧いただければ幸甚です。