ここのところ、頻繁にコメ不足や価格高騰のニュースが報じられている。さらに、国力の衰えという文脈で、農業(食料保障の確保)の衰退が危惧されるとも語られていた。
2018年まで続いた政府の減反政策もあって、休耕地や耕作放置地が増えた。こうした要因もあいまって右肩下がりに農業従事者の数は減り続け、高齢者が大半を占め、結果として農地はさらに荒廃している。いまの状況が続けばやがて農村という鄙(むら)の形が消滅するだろう。これに取って代わるのは、ソーラーパネルを設置する、今だけ此処だけ自分だけの新手のビジネスを画策する輩が横行するだろうとも言われてる。人が住まなくなれば、文句を言う人もいなくなるわけだから、したい放題になることは想像に難くない。
鄙(むら)の形が消滅するということは、日本の国土、いや少し大げさに言えば精神性が失われるということである。かつて、長崎の出島から江戸へ旅したシーボルトの『江戸参府紀行』の一文である。
”日本の農民は驚くほどの勤勉さを発揮して、岩の多い土地を豊かな穀物や野菜の畑に作りかえていた。深い溝で分けられている細い畝には、オオムギ・コムギ・ナタネやキャベツの類・カラシナ・ハトマメ・エンドウマメ・ダイコン・タマネギなどが1フィートほど離れて一列に栽培されていた。(中略)いまわれわれは幅広い街道に立ってすばらしい景色をあかず眺めた。両脇に緑の苗床や菜園がありマツ林を通りぬけ、村々の間を通るよく手入れされた道は、わが故郷の公園にある散歩道に似ていた。この道は、曲がり角に来ると新しい景色が旅行者を驚かすように、考えて作ったのかのように思われる”
良く手入れの行き届いた農村の景観に、シーボルトが驚嘆の声をあげている。このシーボルトの紀行文を読んでいると、日本人であることに誇らしい気分になる。他にも、当時の風景・風土・生活を記したも書物としては、宮本常一著『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』や、膨大な資料を編纂した名著、渡辺京二著『逝きし世の面影』など。ここでも、当時の身綺麗な生活環境の佇まいが随所に記載されている。
丹誠込めて手入れされた水田、ゴミの落ちていない道、よく拭かれた床や窓枠、こうした態度と作法は日本文化の根幹と言うべきもののひとつである。勤勉を尊び、清潔を旨とし、内も外も隅々まで丁寧に掃き清めるようにして美しい生活の景観を作ることは、ある種の道徳ですらある。それが何百年と続いてきた。この国の誇るべき遺伝子ではないか。
美しい里山や農地を保全すること、そして農業を守ることは、単に食料自給のためばかりではなく、自らの国を愛するという基本的な態度のことでもある。だからこそ、鄙(むら)の形についてコスパとタイパばかりを優先させる政策であってはならないのだ。