第1067号『2025年の幕開けに』

あけましておめでとうございます。

少し長めの休暇だったが、今回のお休みで考え思い浮かんだことや、いくつかの出来事を記録しておきたい。

1月2日で73歳になった。ここ数年、誕生日を迎える度に思うことがある。それは、40代50代のころに思っていたそれとは、あまりにかけ離れているということだ。僕が想像していた70代のイメージは、身体も思うように動かず欲望も薄れ、ものわかりがよく、性欲も食欲も枯れ、なにごとにも達観し、落ち着いた爺さんになるのかと思っていた。でも、そんなことはちっともなく、まだまだ掘り下げたい課題や、やりたい仕事も遊びもあり、40代50代ころよりむしろ欲深な自分がいる。

肉体と精神は表裏一体である。未来から見れば今が一番元気である。元気であればどうにかなる。そんな乱暴な気持ちが心の中に灯っている。だから、年末恒例の水泳25メートル✕108本(煩悩数)=2700メートルを泳ぎ、そして8キロほど走った。

まずはスイム。毎回のことであるが、泳ぎきれるのかと不安な気持ちで泳ぎ始めたが、今回は60本を過ぎてから余分な力が抜け身体が軽くなり、むしろリラックスして泳ぐことができるようになった。残念ながら、煩悩はちっとも振り払えなかったが・・・。そしてラン。走ることは好きだ。ただ一昨年、アキレス腱断裂の怪我をしてから長い距離だと足がしびれてくる。それでも、トレーニングを重ねることで徐々に時間と距離を伸ばしている。

さて、休みの間に読んで面白かった2冊の本を紹介したい。

國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』。そして、もう1冊がマルクス・ガブリエル著『倫理資本主義の時代』。

まずは、國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』である。けっして難解なものではないが、さりとて糖衣錠に包まれたような自己啓発本的な内容のものでもない。ふと、中島らものことを思い出した。らもが、なぜ酒を呑むのかと問われ、それは「余白の時間」を埋めるためだと答えた。そのこころは、「教養」のない人間は酒を呑むことくらいしか残されていない、「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。「教養」のない自分は酒を呑むことでしか「余白」を埋められない、と。” けだし名言である。

そして、マルクス・ガブリエル著『倫理資本主義の時代』。今日、資本主義は行き詰まり、機能不全に至っているのではないかと言われている。しかし、マルクス・ガブリエル曰く、その打開の鍵は資本主義の放棄ではなく、道徳的価値と経済的価値を再統合し、「善」の組み込みによってアップデートを施した「倫理資本主義」の実装で活性すると。そもそも、企業の目的は善行であり、この善行によって利益を得ることであると。我々、日本人にとっては、馴染みのある思考である。

奇しくも、2冊ともタイトルに「倫理」という言葉が冠されている。時代は、技術や方法論だけでは対応できなくなり、倫理(生き方そのものの考え方=哲学)が求められているのかもしれない。

年末に観た、僕の大好きな映画もぜひ紹介したい。

リチャード・カーティス監督・脚本作品『ラブ・アクチュアリー』(2013年製作)を4Kデジタルリマスター版で桜木町キノシネマにて鑑賞した。『ブリジット・ジョーンズの日記』『ノッティングヒルの恋人』などの脚本家リチャード・カーティスが初メガホンをとり、クリスマス前のロンドンを舞台に、19人の男女が織りなす恋愛模様をつづった群像ラブコメディ。

クリスマスのころになると、アメリカのTVではフランク・キャプラ監督の『素晴らし哉、人生』がお決まりのように再放送されるという。一方、イギリスでのそれは『ラブ・アクチュアリー』だと聞いたことがある。僕は『ラブ・アクチュアリー』派。年末になると、決まってこの映画が観たくなる。しかも今回は劇場で観ることができた。映画としての仕上がりの素晴らしはもちろんのこと、サウンドトラックも選曲も気が利いている。そしてビル・ナイをはじめとする役者たちがいい。なかでも、映画『はじまりのうた』のキーラ・ナイトレイの可愛さに、胸がキュンとなる。何度観ても、最高にハッピーな気分になれる映画だ。まだ、観ていない方に。絶対ハズレ無し、機会があればぜひご高覧いただきたい。

休日もあっという間に過ぎた。さて、パワーも充電できたところで、今年もよろしくお願いします。

企業を支えるのはファンだから
ファンサイト有限会社代表 川村隆一

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