高校二年の冬、TVでは、東大安田講堂で学生と機動隊の攻防が連日放送され、大学教授が学生の罵倒を浴びながら、押し黙る姿が映し出されていた。
大学は権威や神話性を失い、僕らのクラスのなかでも、むしろ秀でていた奴ほど進学を放棄していた。
この年、東大は入学試験を中止した。
翌年、僕は優秀という領域からほど遠く、さりとてこれから具体的になにかしようという当てもなく高校を卒業した。
だから、ひとまず浪人という立ち場に身を置くことにした。
11月25日、市ヶ谷にある自衛隊東部方面総監部で三島由紀夫が割腹し自害した。
鉢巻をし、軍服のような衣装で身を固めバルコニーから激をとばしている三島の姿は、まるで唐十郎や寺山修司の状況劇のようだと思った。
衝撃というよりは自分の置かれた場所から随分と遠い出来事のように感じ、眺めていた。
焦燥感はあるが、とりあえず時間だけは湯水のようにあった。
ある日、高校時代の友人が通う「お茶の水美術学院」の授業に誘われ、もぐりで出た。
壇上には、20代半ばの若き柏木博先生がいた。
先生は、黒板に飛行機の尾翼のようなテールランプの付いた流線型の車を描いた。
それはまるでレイモンド・ローウィがデザインしそうなフォルムだ。
描き終わり、黒板から振り返り話し始めた。
この車には尾翼のようなテールランプが付いているが、これが付いていてもスピードそのものは、実質的にほとんどなにも変わらない。
しかし、この尾翼のようなテールランプが付いたことによって、この車はスピードという「意味」を獲得した。
つまり、この車には車そのもののスタイルが表している意味と、スピードという内包された意味がある。と。
意味が世界を構築する。
言い換えればデザインとはこの意味の変容の作業なのだ。
概ね、こんなお話しであったと記憶している。
それまで、感覚的に表現することがデザインや広告の世界だと思っていた僕には、まるで宇宙のなかで銀河系がなぜできたのかを解き明かされたかのような驚きを感じた。
おもしろいと思った。
もっともっとデザインや広告の世界を知りたいと強く思った。
斜に構えていた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
そして、やってみたいことはこれだと思った。
あらから30年余が過ぎた。
「あの時の熱はさめていなか?」
「まだまだ熱いぞ!」
「あの時の好奇心は萎えいでいなか?」
「まだまだグングンあるぞ!」
こうして時折り自問自答し、確認してみる。
まだまだやりたいことも、提案したいこともたくさんある。
お楽しみはこれからだ!