第1081号『「推し」を推すこととは』

つい最近「推し」ができた。70歳を過ぎても、生まれてはじめてのことはあるものだと驚いている。さて、僕の推しはパク・ウンビンさん。彼女は韓国を代表する女優のひとりである。きっかけは、妻が観ていた韓国ドラマ『恋慕』を一緒に観て知った。最終回までワクワク・ドキドキが止まらず、彼女の魅力にすっかり心を奪われた。当然の成り行きとして彼女が主演のドラマ、『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』『無人島のディーバ』『ハイパーナイフ闇の天才外科医』と立て続けに観ている。そして、我ながらミーハーだなと思いつつファンクラブにも入会した。

ファンの研究は僕のライフワークだが、この「推す」という言葉にも興味が湧いた。「推す」とは、芸能的な活動をする人をファンが応援すること。そして「推し」は、ファンが応援している人を指し示すときによく使う言葉である。ジャニーズ、宝塚、地下アイドルに地上アイドル、YouTuberも含まれる。

ところで、僕がはじめて「推し」という言葉の輪郭を知ったのは、2020年、第164回芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』宇佐美りん著(河出書房新社)でだった。「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」この書き出しから始まる主人公の高校生・あかりの一人称語りによって、アイドルを推すことのリアルが精緻に描かれていた。SNSやブログでのファン同士の交流、ポスターやDVDなどグッズのコレクション、メンバーカラーの青色を全身に身に纏って参加するライブイベント。あかりとって、すべてが生きる上で切実なものである。だから、推しは自分にとって「背骨」のようだと表現されていた。

5年前、この物語を読んだ時は、今日的な若者の有り様をひとつ知った、という程度の感想でしかなったが、今なら”推しは自分にとって「背骨」のようだ”という気分が少しわかる。

あるインタビューで、なぜ「推し」について書いたのかの問に、著者の宇佐美りんさんが語っている。

”たとえば、「推しを推すこと」が疑似恋愛のような嗜好の一環として捉えられ、「恋愛的に好きなんでしょ」とか「一方通行で見返りが返ってこないのになんで追っかけてるの」と言われたりする。しかし、「推す」ことが趣味の範疇を超え、生きがいのようになっている人もいる。生活の一部に深く食い込んでいる人が多いのに、あまり注目されていないと感じ、その思いを作品にしたが、推しは遠い存在なので、こちらは見られていません。推しへの愛情は、その活躍で返してくれるものなので、ファン個人に対する愛情として返ってくることはありません。でも返ってこないからこそ、自分にとても自信がない時に救われるということがあるのです。” 

僕の読み取りとして、『推し、燃ゆ』のテーマは「”推し”は虚構の概念だが、現実と地続きの痛切な依存関係なのだ」という理解である。ともあれ、パク・ウンビンという推しの(頑張っている姿)存在が、僕のこれからの生活に善き輝きと潤いをもたらせてくることは間違いない。

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